抗がん剤治療その① ABVD療法1クール目前半
2017年6月15日(木)晴れ。
入院2日目。
今日から抗がん剤治療を開始します。
朝食を食べ終える頃、看護師さんがやって来て、イメンドカプセルを渡されます。
「10時頃から始めますんで、その1時間前、9時頃に飲んでおいて下さい」
言われた通り、9時に薬を飲み、メールの処理等をしながら待ちます。
10時少し前、看護師さん2人と、研修医と思われる若い医師がやって来ました。
若い医師に「では、これから点滴のラインを取ります」と言われ、
僕は思わず「え?先生が取るんですか?」と聞いてしまいました。
すすと「はい。点滴のラインを取るのは医師じゃないと出来ないんです」と。
以前の記事でも少し書きましたが、僕は医療系の仕事にも携わっており、絶対にそんな事は無い筈だとは思いました。
が、そう言った所で看護師さんに代わってくれそうな雰囲気でもありません。
とりあえず、その時は何も言いませんでした。
正直、嫌な予感がします。
さて、ライン取りですが・・・・・
まぁ、はっきり言って手元がおぼつかなく(手震えてるし・・・)、痛いし、割と出血してますけど、大丈夫ですかね?
それでも何とか(無事に?)ライン取りは終了。
ちなみに、後日、先ほどの医師の発言の真偽について調べた所、平成14年9月の厚生労働省医政局長通知により
「医師又は歯科医師の指示の下に保健師、助産師、看護師及び准看護師が行う静脈注射は、保健師助産師看護士法第5条に規定する診療の補助行為の範疇として取り扱うものとする」
となっています。
つまり、医師の言った事は
「完全な嘘とは言わないが、医師が指示をすれば、看護師さんがラインの確保を含めて点滴をしても良いとされており、事実上の嘘である」
と言う事です。
まぁ、教育目的があるのも分かりますが、抗がん剤の場合、血管外漏出の問題とかありますし、感染症とかシャレにならないので、正直、勘弁して欲しいですね・・・。
さて、前回の記事でも書いた通り、まずは制吐剤のミックスを滴下。
その後、いよいよ抗がん剤の滴下開始です。
まずはドキソルビシンから。
これは赤〜オレンジ色をした液体で、見た目がちょっと毒々しいです。
尚、この薬はクレンメ開放で滴下されます。
通常、点滴って「ポタッ・・・ポタッ・・・」という感じで、大体、1秒に1回くらい、点滴筒に落ちて来るイメージだと思います。
が、クレンメ開放だと「ポタポタポタポタポタポタポタポタッ!!」と、これまで見た事の無いペースで点滴等に落ちて来ます。
その異様さも相まって、何と言うか「劇薬感」満載ですね。
この薬剤が体に入って来ると、僕は口の中、特に舌の周りに軽い痺れを感じます。
次はブレオマイシン。
この薬剤は無色透明ですね。
これは通常のペースで30分ほどかけて滴下されますが、特に変化を感じる事はありません。
次はビンプラスチン。
これも無色透明の薬剤で、クレンメ開放で滴下し、すぐに終わります。
これも特に何か感じる事は無いですね。
で、最後がダカルバジン。
大ボスの登場です。
事前に調べていた情報から、このダカルバジンは、滴下中に「血管痛」を感じる方が割と多いようです。
実は、ダカルバジンが何故血管痛を誘発するのかという理由は完全には解明されていません。
今の所、有力なのは「diazoimidazole-4-carboxamide(Diazo-IC)」という物質。
これは、ダカルバジンが光にさらされると、分解されて発生する事が分かっています。
この事は、ダカルバジンの医薬品インタビューフォームにも
「5–ジアゾイミダゾール–4–カルボキサミド(光により生成する発痛物質であることを示唆する報告がある)」
という記述があります。
その為、ダカルバジン調剤は暗所で速やかに行い、投与時には、投与ルートの遮光が推奨されています。
しかし、それでも「血管痛を防ぐには至っていない」というのが実情です。
また、現在の所、最適な調剤条件も明らかにはなっておらず、様々な医療期間で試行錯誤が続いているという、ちょっと厄介な薬剤です。
さて、僕の場合はどうでしょう?
ダカルバジンの輸液バッグとルートには、販売元が提供しているオレンジ色の遮光フィルムがかけられています。
ただ、遮光フィルムはルート全体はカバーし切れませんので、フィルムで覆われていない部分はアルミホイルを巻いてもらいました。
結論として・・・「血管痛」なる症状は、全く感じられませんでした。
抗がん剤治療に関しては、色々な情報が出回っており
「かなり個人差も大きいみたいだし、どれだけ辛いのかは実際にやってみないと分からないな」
と思っていました。
僕の場合、本当に全くと言って良いほど、抗がん剤滴下時の自覚症状は無く、正直、拍子抜けしましたね。
「何だ、正直ちょっとビビってたけど、意外と楽勝じゃん」
この時は、そう思っていました。
後に、己の愚かさを痛感する事になるとも知らず・・・