抜糸からの
2017年5月19日(金)晴れ。
今日は結構、暑いですね。
生検から一週間経ち、今日は抜糸です。
受付を済ませ、耳鼻咽喉科の診察室へ。
医師が、絆創膏を剥がし、傷の状態を確認します。
「うん、非常に状態は良いですね。綺麗に塞がってます」
抜糸自体は、多少チクチクするくらいで、特筆すべき事はありません。
これで、耳鼻咽喉科での予定は全て終了です。
お世話になりました。
「傷跡は、日焼けすると色素沈着を起こしやすくなるので、当面の間、このような医療用テープでも貼っておくと良いでしょう」
そう言いながら、医師がテープを見せてくれます。
見覚えあるぞ、そのテープ。
病院の売店に売っているというので、買いに行きます。
やはり、3Mのサージカルテープですね。
3Mは、僕が大学を卒業して、初めて就職した会社です。
当時は「住友スリーエム」という会社名でしたね。
サージカルテープは、厳密には別会社の製品でしたが、オフィスも同じビル内にあり、感覚的には一緒の会社でした。
サージカルテープは、かぶれにくく、扱い易く、何かと重宝したので、たまに倉庫からサンプル品を拝借してたのを覚えています。
住友スリーエムには、5年半ほど勤めました。
今から考えても、とても良い会社だったと思います。
上司や同僚にも非常に恵まれ、本当に、色々と勉強になりました。
4年目のお盆休みの事。
会社で一番、仲の良かった同期の男(以降「F君」とします)と、大学時代に一番、仲の良かった同級生の男(以降「M君」とします)とで、旅行に出かけました。
F君と僕は同郷(福岡)で、M君は福岡には行った事が無く、かねてから行ってみたいと思っていた事から、F君と僕の帰省を兼ねての旅行でした。
東京→京都→大阪→福岡→沖縄→福岡→大阪→名古屋→横浜→東京
という行程を、車と飛行機で移動したのですが、この際、ソニーのハンディカム(当時は「Hi8」という規格のテープ録画機)を購入し、ほぼ全行程を撮影しました。
当然、録画時間は膨大な物となり、とてもそのまま見る事は出来ません。
そこで、M君がテープの編集を買って出てくれました。
このM君は、映画が非常に好きな男で、大学卒業後にイマジカに就職していました。
イマジカという会社は、馴染みのない方も多いかも知れませんが、テレビや映画等の映像編集を手がける企業としては、日本で最大手の会社です。
M君は、仕事の合間に、空いている編集室を使って、膨大な量のテープを1時間程度の物に編集してくれるとの事でした。
今でこそ、動画の撮影や編集といった作業は(一般の方がパッと見て問題無い程度には)誰でも簡単に出来るようにはなりましたが、当時は割と難しい事でした。
ですから、その当時は、子供がいる上司のお宅に呼ばれたりすると、無編集のビデオを延々と見せられたりするという苦行が、サラリーマンの間では一般化していましたね。
編集作業において必要になる代表的な物の一つに「テロップ」があります。
「字幕スーパー」という言い方もしますが、要は画面上に出す文字等の事です。
今では「テロップ」という言葉も、ある程度は知られるようになりましたが、当時としては聞いた事も無い代物でした。
で、このテロップを自作する事になった訳ですが、この作業を通じ、テロップにまつわる映像業界の問題点をM君から色々と聞く事になります。
その話を聞いた僕が
「うーん・・・じゃ、例えば、こうすれば、全て解決するんじゃね?」
と言った言葉をきっかけに、現在、僕が働いている会社を創業する事になります。
創業メンバーは、僕とM君とF君。
F君は諸事情により退社しましたが、M君は専務として、今も一緒に働いています。
あれから、もう20年経ちましたね。
僕が就職した当時というのは、いわゆる「バブル崩壊」の始まった時期でした。
ただ、今から考えても、何と言うか、緊張感に乏しく「人生、楽勝でしょ」という、根拠の無い、怠惰な空気感が充満していたような気がします。
まぁ、不動産業界とか金融業界に居なかったせいかも知れませんが。
同期や、少し上の先輩達は「俺は30(歳)までに独立してポルシェに乗るぜ」みたいな事を、口を揃えて言っていました。
僕はと言えば、独立志向など全く無く、そういう言葉を聞いても、何故そんなリスキーな選択をする必要があるのか、全く理解出来ませんでした。
そんな人間が、自ら望んでもいないのに、28歳で創業する羽目となり、以来、20年以上に亘って事業を継続する事になるとは・・・
人生、分からないもんです。