無知の知菴 〜悪性リンパ腫罹患者の日常〜

結節硬化型古典的ホジキンリンパ腫と診断され、経験した事、学んだ事、思う事。

最近の体調についてと自分に対する嫌悪感

2018年6月6日(水)雨。

 

今日から東京は梅雨入りとの事。

雨が降っている事もありますが、久し振りに気温が低く、少し肌寒く感じます。

 

今日は放射線腫瘍科と口腔外科の診察です。

どちらも前回の診察は2月7日でしたので、約4ヶ月ぶりとなりますね。

 

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総合受付で受診票を受け取り、まずは口腔外科へ向かいます。

 

口腔外科に関しては、現在、特に大きな症状があって受診している訳ではありません。

が、担当医によれば、粘膜の白化があまり改善しない事が少し気掛かりだと言う事で経過観察をしています。

担当医に聞いた訳ではありませんが、白板症の疑いがあるのかも知れません。

 

今回の診察の結果としては、粘膜の白化に一応の退縮が認められるようです。

ただ、新たに白化した部分もあるようで、今後も経過観察を継続する事になりました。

次回は3ヶ月後の予定です。

 

放射線腫瘍科では、前回同様、触診と問診がありました。

触診では、放射線を照射した左頸部に浮腫がほぼ見られない事が担当医としては少し意外だったようです。

が、実は少し前まで左頸部には軽い腫れがあり、ここ一週間ほどで収まって来た事を伝えると、担当医は納得していた様子でした。

 

また、味覚障害があるかどうかを聞かれましたので、酸味を強く感じる傾向が以前より少し増して来た事を伝えます。

担当医によれば「あー、それはちょっと厄介ですね・・・多分、改善するとは思うんですが、少し時間がかかるかも知れません」との事。

 

この酸味を強く感じる傾向については、正直ちょっと困っています。

本当に、割と何を食べても酸っぱく感じてしまうんです。

 

そもそも「酸っぱい」というイメージがある食べ物や飲み物、例えば酢の物だとか柑橘系の飲み物なんかであれば、通常よりも強く酸っぱさを感じるというだけで、特に問題はありません。

が、問題は「酸っぱい」というイメージが無い物を口にした時です。

 

例えば普通のうどんや味噌汁、あるいは通常であれば「甘辛い」というイメージのある煮物や炒め物などが、ほぼ全て「酸っぱい」と感じてしまうのには参ってしまいます。

少し調子が悪いと、何も食べていなくても口の中が酸っぱく感じてしまう事すらあるんですよね・・・。

 

正直に言って、食欲が失せてしまうほどの状態で、さすがに何とかしなくてはいけないと思ってはいるんですが、今の所、有効な対策は立てられていません。

ダメ元で亜鉛サプリメントなんかも飲んでみたんですが、予想通り、全く効果はありませんでした。

 

ここでの詳述は避けますが、理屈としても経験則としても、サプリメントには本当に意味が無いと思いますね。

気分を害される方がいらっしゃったら大変申し訳ありませんが。

 

そのほか、目下の体調的な問題としては、相変わらず睡眠障害が続いています。 

夜、寝床に入り、少しうつらうつらとしたかと思うと目が覚めてしまうという事を繰り返しているうちに朝になってしまい、全く熟睡出来ません。

この問題も何とかしなければ生活に支障が出てしまうレベルで、色々と試行錯誤はしているんですが、なかなか解決の糸口すら見えない状況です。

 

今のところ、悪性リンパ腫のコントロールには成功しているようなので贅沢は言えないのですが、こんな状態が続けば、今度は精神面に問題が出て来てしまうのではないかと思います。

 

貨幣上湿疹や蕁麻疹に関しても、比較的落ち着いているとは言え、相変わらず治まってはいませんし、一体いつになったら色々な事が気にならない状態に戻るのか、今のところ全く先が見えない状況ですね・・・。

 

と、ここまで書いておいてなんですが、実は上記のように思ってしまう自分に対し、我ながら少し違和感を感じています。

と言うのも、悪性リンパ腫の治療中の方がよほど体調的には辛かったのにもかかわらず、今とは比較にならないほど前向きな精神状態だったからです。

 

悪性リンパ腫の治療中は、副作業が辛かろうが何だろうが「どうしたコラ!そんなもんか!!かかって来いや!!!ぜってー負けねーからな!!!」と闘志むき出しの精神状態で「ガンガン前進して行こう」という気概に溢れてました。

が、治療が終了した現在は、治療中に比べれば大した問題でもないような小さな身体の不調に対してグズグズと不満を言ったりするようになってしまった事に、我ながらウンザリしています。

 

治療中は、まず「死」が目前にあり、それに抗う闘いをしていました。

つまり、失う物が無かった訳です。

ところが、治療が奏功して「生」を手にしてしまった途端、今度は「いつ病気が再発して、これを失ってしまうかも知れない」といった怯えを感じてしまったり、生命を奪われる訳でも無い瑣末な身体の不調に対して不必要に「死の影」を感じてナーバスになってしまっているのだと思います。

 

僕なんかより、妻や娘をはじめとする周りの方々の方がよほど大変だった筈なのにもかかわらず、そういった事も油断するとつい忘れてしまいそうになっている自分に気付いた時には愕然としました。

我ながら、あきれるほど身勝手で浅薄な人間なのだなと思いますね・・・本当にガッカリです。

 

そういう想いを抱えながらも、現実から逃げずに前を向き、決して感謝の念を忘れる事なく、少しでも自らを高められるように生きて行くしかないのですが。

50歳の誕生日

2018年5月31日(木)曇り。

 

今日は僕の50歳の誕生日です。

とは言え、平日だという事もあり、特に何もする予定はありません。

そもそも、特に近年は自分の誕生日に何の関心もありませんしね。

ただ、今年に関して言えば、例年より少しだけ感慨深いかも知れません。

 

僕が悪性リンパ腫に罹患している事が確定したのは昨年の5月26日でしたので、それから約1年が経った事になります。

あの時は、1年後に自分がどうなっているのかなど考える事も出来ませんでしたが、何とか無事に生きている事には感謝しかありません。

 

僕の場合、原発部位が頚部であった為、比較的早く異常に気付く事が出来たのは不幸中の幸いでした。

異常に気付いた時の悪性リンパ腫のステージはII期だった訳ですが、その段階でも特に体調が悪かったり痛みがあったりした訳ではなかった事を考えると、仮に病変部が分かりにくい場所だったとすれば、もっと病状が進んだ段階で病気が発見された筈です。

 

もしそうなれば、今頃はより悪い状態であったり、最悪の場合、生きていなかった可能性も十分にある訳ですからね・・・。

 

ただ、こういう風に書いた事とは矛盾するようですが、僕は普段あまり過去の事について仮定の状況を考えたりする事はありません。

誤解を恐れずに言うならば、僕は「運命論者」です。

 

例えば過去の事について「あの時、もしこうしていたら・・・」といった話をする人がいますが、僕にはあまり意味がある話だとは思えません。

もちろん、そういった話をしたくなる気持ちが分からない訳ではないのですが、現実としては「そうしなかった」訳ですし、仮定の話をしたところで、実際に選択した行動によってもたらされている現在の状況が変わる訳ではありません。

 

そういった意味では、一見、選択肢は複数あるように見えるものの、実際には現実に選択した一つしか存在しなかった事になる訳です。

故に、その選択によってもたらされた現在の状況は、言うなれば「予め決まっていた」と言っても過言ではありません。

 

少なくとも、実際には選択しなかった行動によってもたらされたであろう、現実には存在していない状況について考えたところで無駄ですし、そもそも、本当にそうなっていたのかどうかすら分からないのです。

したがって僕としては、ありもしない仮定の話についてあれこれと考えるより、今、目の前にある現実をしっかりと見て、よく考え、悔いの無いように行動する事に注力する方がよほど重要だと考えている訳です。

 

もちろん、こういった考え方には若干エキセントリックな部分がある事は自分でも理解していますし、ともすると気分を害される方がいらっしゃるかも知れない事は十二分にに承知しています。

もし僕の拙い表現のせいで不愉快な思いをされる方がいらっしゃったら、大変申し訳ありません。

 

ただ僕としては、要するに「現状に不満があるのだとしても、それに文句を言うのではなく、逆に満足していたとしても、それにあぐらをかくのでもなく、目の前にある現実をしっかりと見据えた上で、未来に向けて何が最善なのかを常に前向きに考え続け、実際に行動する事が重要」だと考えているという事です。

 

まぁ、御託を並べてはいるものの、実際いつもそう出来ているかと言うと甚だ疑問ではあるんですけどね。

 

さて、話を元に戻しますと、誕生日と言えば、1年前のこの日は骨髄生検をやったんですよね・・・今、思い返しても、あれは最悪でした・・・。

骨髄穿刺と骨髄生検の間にあれほどの差があるとは知らず、完全に想定外でしたね。

 

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もし再び骨髄生検をやる事になったとしたら、出来れば局所麻酔ではなく、鎮静剤を使用した上で行なってもらいたいと思います。

 

確認した訳では無いんですが、子供の場合だと骨髄生検を行なう際は鎮静剤を使うらしいので、恐らく大人でも強く希望すれば使用してくれるんじゃないでしょうか。

たとえ「子供か!」などと言われようが、局所麻酔では二度とご免ですね。

 

先程、過去について仮定の話をする事には意味が無いと書きましたが、過去の話ほどでは無いにせよ、未来の話についても、さほど意味は無いと思っています。

もちろん、僕も何かを予測をする事や、備えをする事はあります。

ただ、実際に再び骨髄生検をする事になるかどうかや悪性リンパ腫の事も含め、今後、僕の身に何が起こるかなど知る由もありません。

 

ただ言える事は、悪性リンパ腫に罹患した事で、先程述べた「目の前にある現実をしっかりと見た上で、未来に向けて何が最善なのかを常に前向きに考え続け、実際に行動する事」の重要性をより痛感するようになったと思う今日この頃ではあります。

 

こういう事を書いていると、子供の頃「おっさんって、めんどくせえなぁ」と思っていた事を思い出します。

我ながら、見事に面倒臭い50歳のおっさんが出来上がってしまったなと思いますね、本当に。

 

それもまた、仮定の話では変える事の出来ない現実ですが。 

抗がん剤と放射線による脱毛について

2018年5月27日(日)晴れ。

 

今日は散髪をしました。

ここ最近、髪を切って頂いている理容師さんによれば、抗がん剤放射線の影響による脱毛に関しては「恐らく、ほぼ元通りになっている感じですね」との事です。 

 

このブログでは、これまで脱毛に関してはあまり詳しく書いて来ませんでしたが、そろそろ一連の経過についてまとめてみる事にしようと思います。

以下は抗がん剤治療が終了してから約7ヶ月、放射線治療が終了してからは約5ヶ月経過した段階での考察です。 

 

まずは抗がん剤治療による脱毛について。

 

僕の場合、抗がん剤治療を開始して1ヶ月半くらい経った頃から脱毛が始まりました。

治療を開始したのが昨年の6月15日で、8月の頭くらいから抜け始めています。

朝、起きた際に、枕の上に髪の毛が沢山落ちていたり、洗髪の際に手に絡み付くような感じで抜けるようになりました。

 

脱毛の進行の仕方としては、どこか特定の場所が集中して抜けたりした訳ではなく、頭髪全体が均等に薄くなって行った感じです。

眉毛やまつ毛なんかも少しだけ抜けたような気がしますね。

また頭髪の脱毛ペースとしては、毎日ほぼ一定の量が抜ける感じで、脱毛量の増減はあまりなかったように思います。

これらは以前の記事に書いた想定通りでした。

 

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抜けた髪の毛を観察してみると、上手く伝わるかどうかは分かりませんが、両刃の糸鋸みたいな感じでギザギザの段が付いている事が分かりました。

仮説ではありますが、抗がん剤を使用した時に毛が細くなり、その後、太さが若干戻る事で段が付いているのだと思われます。

で、その段の3つ目か4つ目辺りで切れるようにして抜けている毛が多かったですね。

抗がん剤治療は2週間に1度でしたので、3段目か4段目で抜けているというのは、治療開始後1ヶ月半位から脱毛し始めた事とも整合が取れています。

 

段の間隔を測ってみると2mm~3mm刻みの場合が多かったので、もし髪の毛に段が付くメカニズムに関する僕の仮説が正しいのだとすれば、1ヶ月で約4mm~6mmほど伸びているという事になります。

通常、髪の毛は1ヶ月で1cmほど伸びると言われていますので、伸びるスピードが半分程度に落ちたという事なんでしょうか。

事実、抗がん剤治療開始直後の6月24日に散髪し、その後は12月1日まで5ヶ月強の間、全く散髪しませんでしたが、髪はあまり伸びなかった印象です。

 

尚、脱毛が止まったのは、抗がん剤治療が終了して1ヶ月強が経過した頃でした。

僕の場合、治療が変則的で、ABVD療法2クール実施後、約1ヶ月のインターバルがあった後、ブレオマイシンを除外したAVD療法を2クール実施しています。

結果として、抗がん剤治療の期間は6月15日〜10月20日の約4ヶ月間で、脱毛が止まったように感じたのが11月27日という記録がメモとして残っていますね。

 

最終的な頭髪の脱毛具合としては、大体4割~5割ほど抜けた感じで、全部が抜けるような事はありませんでした。

髪の毛が全部抜けなかったのは、使用した抗がん剤の種類や治療回数といった要素が大きいのだとは思いますが、それに加えて、抗がん剤の影響を受けるのは成長期の毛髪のみであるというメカニズムが影響しているのではないかと思われます。

 

通常、8割~9割の頭髪が成長期だとされているのですが、抗がん剤治療を行なうと成長が一時的に止まるとも言われています。

仮に、成長期の頭髪のうち半分程度の成長が止まったのだとすれば、脱毛が4割〜5割程度だった事と整合が取れますね。

まぁ単純に、半分程度の頭髪が抗がん剤に耐え抜いたという事なのかも知れませんが。

 

ちなみに、10月11日から3月3日までの約5ヶ月間、僕はニット帽を被っていました。

ニット帽を被るようになったのは、決して脱毛だけが理由ではなく、頭皮が炎症を起こしてフケが出るようになった事が大きな要因ではありました。

が、概ね、抗がん剤治療を開始して4ヶ月ほどすると、気になる程度に脱毛したと考えて良いと思います。

 

また、抗がん剤治療が終了したのが10月20日で、ニット帽を脱いだのが翌年の3月3日だったと言う事は、抗がん剤治療終了後4ヶ月半ほどで気にならなくなる程度にまで頭髪は再生するという事になりますね。

まぁ、あくまでも僕のように頭髪のクセが強く、かつ短髪の場合ではありますが。

直毛だったり髪が長かったりすると、回復にはもう少し時間がかかるかも知れません。

 

次に、放射線治療による脱毛の仕方についてなのですが、これは抗がん剤の場合とは全く異なります。

まず、放射線の照射範囲内に生えている毛髪は、1日〜2日の間で一気に(ほぼ)全て抜けてしまいます。 

脱毛時期に関して言えば、僕の場合、放射線治療は1回2Gyの照射を15回、合計30Gyの照射だったんですが、13回、つまり26Gyを照射した後に脱毛しました。 

 

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毛髪の再生が始まるのは、治療が終わってから2ヶ月後くらいからです。

僕の場合、左側の襟足と髭が抜けたわけですが、治療終了後5ヶ月ほど経過した現在、そもそも短く刈り込んでいた襟足は違和感無く生え揃った感じです。

髭に関しても、ほぼ元通りの状態となりました。

 

放射線による脱毛は「大体、半年程度で元に戻ると思いますよ」と担当医から言われていましたが、実際その言葉通りの結果となったようです。

 

以上となります。

 

本当なら、こういう記事には写真を付けた方が分かりやすいのだと思います。

が、脱毛の経過についての写真は特に撮ってはおらず、掲載する事が出来ません。

 

実は僕は、仕事で写真を撮る事が頻繁にあるせいなのか、私生活に関する写真を(ほぼ)撮る事はありません。

私生活に関する写真は妻が沢山撮ってくれていますので、普段は彼女にお任せしているのですが、こと本件に関して言えば「写真を撮っておいた方がよかったかな」と少し後悔しています。

 

もし、抗がん剤治療や放射線治療による脱毛に関する情報を調べられている中で本ブログに辿り着かれた方がいらっしゃったとしたら、大変申し訳ありません。

本格的な鍼治療

2018年5月18日(金)晴れ。

今日もそうなんですが、最近は日中の最高気温が30度近くになる日が続いていて、5月としてはかなり暑いです。

 

さて今回は、前回の記事から1ヶ月以上後の話です。

その間、ブログに書き残しておきたい事はあまりありませんでした。

 

僕は気が付いた時に日記とは言えない程度のメモを取っていて、基本的にはそこから抜粋した内容の体裁を整えてブログを書いているのですが、この期間のメモは仕事の事、それも恐らく、他の方にとってはどうでも良い内容ばかりですね・・・。

まぁ、何事も無いのは良い事だって事にしときましょう。

 

この日の午後、半々休を取って、少し前にお世話になった治療院へ向かいました。

 

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背中から首にかけての痛みは相変わらず続いています。

背中に関しては、妻に時折マッサージをしもらっているんですが、首に関しては「素人が手を出すのは怖い」との事で、とにかく専門家に治療してもらうように言われていますので、こちらの治療院に再び伺う事にしました。

前回伺ったのが3月24日なので、およそ2ヶ月ぶりの通院となりますね。

 

14時の予約でしたので、治療院の近所にある「うどん甚三」で昼飯を食べてから行く事に(何だか最近うどんばっかり食べてるような気が・・・)。

ここは、都内にある讃岐うどんの有名店「丸香」から独立したお店のようです。

 

初めて食べてみたんですが、しっかりとした讃岐うどんの技術がベースにありながらも「肉うどん」に特化している、ちょっと変わったうどん屋さんですね。

更に、色々な意味で一般的なイメージの「肉うどん」とも異なっているんですが、これはこれで、なかなか美味しいと思います。

ごちそうさまでした。

 

食後は治療院へ伺いますが、まずは問診で前回施術後の経過について聞かれます。

色々と話した結果、今回の治療は首のみに集中してもらう事に。

 

まずは硬くなった部分を揉みほぐして頂くんですが、前回同様、とにかく痛いです。

院長曰く「あまり強くは揉んでいないんですけどね」との事でしたが。

 

で、一通り揉み終えた後、鍼治療となります。

前回、左脛に鍼を打たれた時とは異なり、今回は電気は使用しません。

また、いわゆる「置き針」ではなく、鍼を刺した後に院長が手で刺激を加えては抜くという行為を繰り返す治療でした。

 

鍼を刺された瞬間はあまり何も感じないのですが、院長が手を加えると、今まで経験した事のない感覚が身体の中に走ります。

何と言うか、身体のかなり奥の方にある神経に「ズシーン」と重く響くような独特の感じがありますね。

 

治療を受けながら、鍼を打つと身体に何が起こるのかを院長に聞いてみると「瞬間的には鍼を打った部分の周辺の筋肉が緊張して打撲のような感じになった後、緊張がゆるんで痛みなどの症状が改善する」らしいです。

また、急激な緊張と緩和により「身体がだるくなったり眠くなったりする可能性がありますので、今日は激しい運動や長時間の運転等はなるべく避けるようにしてください」と言われました。

 

施術後は、首周りが軽くなったと感じます。

帰る際、次回の治療を予約して行こうと思ったのですが、院長が少し長期の旅行に出掛ける為、来週からしばらく休院されるとの事でしたので、6月中旬以降に改めて電話で予約を取る事にしました。

 

帰宅後、確かに身体がだるく感じます。

また、妻が「首が細くなってる!」「めっちゃ柔らかくなってる!」と驚きます。

鏡で見てみると、確かに首周りはすっきりしていますし、触っても柔らかいですね。

マッサージによるものか鍼によるものなのかは分かりませんが、とにかく、何らかの効果・効用はあったようです。

 

ただ、眠気はあるのに上手く眠る事が出来ません。

この感じ・・・何だか抗がん剤治療をした日の感じに似てる気がします。

つまり、それだけ治療に対して身体が反応してるって事なんでしょうね、きっと。

皮膚科での診察と「地域医療連携」について思う事

2018年4月9日(月)晴れ。

 

今日は皮膚科の診察です。

本来は3月19日の予定だったのですが、急用が入ってしまった為に予約を変更し、本日の受診となりました。

 

予約を変更する際はS病院の予約センターに電話をするんですが、ここは本当に電話がつながりません。

記録はしていないので確かな事は言えないんですが、恐らく15分くらい受話器を持ったまま待っていたように思います。

僕の場合は病院の近所に住んでいるので、直接行った方が早いかも知れません

 

いくら何でもこんな状態は改善すべきだと思うんですが、急性期病院としては、診療に直接関わらない部分にコストはかけられないんでしょうね・・・。

 

蕁麻疹の症状に関しては、2月26日の状態から特に大きくは変わっておらず、緩やかに改善している感じです。

また、貨幣状湿疹に関しては、処方してもらった軟膏により症状は改善しました。

 

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今回の診察の結果として、症状の悪化や新たな症状の発生が見られない限り、今後は近隣のクリニック等へ行くように言われます。

いわゆる「地域医療連携」ってやつですね。

 

僕としても、それに対して特に異存はありません。

が、問題は、この診療科の部長でもある僕の担当医が紹介先であるクリニックの医師の事を特に知らない様子だという事です。

 

「僕の症状の場合、どこのクリニックが良いんですか?」と聞いてみたところ「うーん・・・どこでも大丈夫ですよ。お住まいはどちらでしたっけ?」と言われます。

で、この近所だと伝えると、医師はPCのデータベース検索ソフトらしきものに大まかな住所を入力して検索をかけ、表示されたクリニックのリストを示しながら「では、この中でどこがご希望ですか?」と逆に聞いてきました。

 

「患者の希望」と言ってしまえばその通りなのかも知れませんが、こういった紹介の仕方だと「どのクリニックのどの医師にどういう実績があるのか」を知っている訳では(そして恐らくは紹介先の医師とは面識も)ないとしか思えません。

この病院(や、この医師)に限った事ではありませんが、医師が紹介状を書く際に、宛名が「 (医療機関名)『〜先生』御侍史」ではなく、単に「(医療機関名)御侍史」となっている(のしか見た事が無い)事が良い証拠です。

 

確かに、症状は落ち着いている訳ですし、処方されている薬剤の有効性も確認出来ている訳でしょうから、紹介先は「どこでも大丈夫」なのかも知れません。

が、こういった紹介の仕方は、言葉は悪いですが「厄介払い」としか言えず、本来の「地域医療連携」の理念からは大きくかけ離れた行為と言わざるを得ません。

今回の僕の症状や疾病の程度であれば問題にはなりませんが、患者さんによっては人生を左右しかねない問題であり、こういった現状は改善しなければならないと思います。

 

まぁ「慣習・慣例」として特に意識はしていないのかも知れませんが、そもそも宛名に「御侍史」などという脇付を使用している事自体が不遜としか言いようが無く、そういった医師達の高慢な意識や、医療業界全体に根付いている階級的な文化が改善しない限り「地域医療連携」など実現しようもないのかも知れません。

 

話が逸れてしまいましたが、今回の一連の投薬治療により、皮膚に関する症状は落ち着いて来てはいます。

ただ、1ヶ月以上、治療を継続した結果として、症状が完全に無くなっているという訳でもありません。

 

皮膚の症状に関して、今後どういう推移をたどるのかは分かりませんが、最悪の場合、ずっと薬を使い続けないといけないのかも知れません。

まぁ現在のところ、薬の副作用が辛かったりする訳ではないんですが、あまり良い気分ではない事も事実ではありますね・・・。

 

少し話が変わるようですが、悪性リンパ腫の治療を受けた事で、体感的にも、また自分なりに色々と調べた結果としても分かったのは「薬剤等を使用する事で得られる効果は、それと同等程度の副作用と引き換え」なのだという事です。

また、何をもって「同等」とするかの判断基準も難しく、人によっては副作用の影響の方が大きい場合も珍しくはないのではないでしょうか。

 

これらは、もちろん頭では分かっていた事ではあったのですが、今回の一連の治療を通じて、改めて思い知らされました。

 

薬剤や病気の治療に限った事ではありませんが、やはり「錬金術は存在しない」のだと思います。

兄の前立腺がんと福岡滞在後半の話

「ところでさ、実は俺、前立腺がんなんだよ」

 

予想もしていなかった兄の言葉に、一瞬、事態を理解する事が出来ませんでした。

・・・・・え?・・・・兄貴が、前立腺がん?・・・・・。

 

祖母と父ががんになった事をきっかけとして、僕はがんの事を割と詳しく勉強するようになりました。

また言うまでもなく、自分が悪性リンパ腫に罹患した事もあり、様々ながんに関する最新の情報についても幅広く収集してる方だと思います。

で、僕の認識では、基本的に前立腺がんは比較的進行が遅く、初期の段階で発見する事が出来れば大事には至りません。

 

「それで・・・病状はどうなの?」

 

兄の話によれば、病状としてはかなり初期の段階で、慌てて治療をする必要は無い状態であるようです。

したがって、現在は経過観察中なのだとか。

 

患部の状態にもよりますが、初期段階の前立腺がんの場合、治療を行なうとすれば小線源治療等の放射線治療が第一の選択肢となりそうです。

どのような治療方針になっているのかを兄に聞いてみたところ、やはり小線源治療が検討されているようで、前立腺がんの小線源治療で多くの実績がある三重大学病院で診てもらっているとの事でした。

 

兄から色々と話を聞いた上での結論としては、それほど深刻な状況ではなさそうなので少し安心しました。

が、まさか兄までもが病気の事を伏せていた事は知る由もなく、本当に驚きましたね。

確認はしませんでしたが、きっと兄も僕と同様に「治療がひと段落するか、死ぬ事が確定してから話そう」と思っていたのではないでしょうか。

 

それにしても、今日は病気の話はそこそこにして、甥っ子二人の進学祝いを中心にするつもりだったんですが・・・何だか彼らには申し訳ない感じになってしまいました。 

二人には、どこかでまた改めてお祝いをしたいと思います。 

 

次の日は墓参りへ向かいました。

お墓は福岡の中心部から少し離れた小高い山の上の霊園にあるのですが、何と言うか、とても雰囲気が良く、ここに来るといつも何故だか穏やかな気分になります。

その為、言葉が適切かどうかは分かりませんが、僕も妻も(そして恐らく娘も)非常に気に入っている場所です。

 

いつもは12月に来ているので気が付きませんでしたが、この時期は桜もたくさん咲いているんですね・・・桜の花が大好きな娘は、とても嬉しそうにしています。

その光景を見ていると、親に孫を見せてあげられなかった事が本当に悔やまれました。

特に母親は、僕が子供の頃からずっと「女の子が欲しかった」と言っていましたしね。

 

また来年来ます。

今度は久しぶりに父の命日辺りにしてみようかな。

 

墓参りからホテルへ戻った後、少し休んでから夕食へ向かいました。

今日のお店は「河太郎」です。

前日の「吉塚うなぎ屋」に続き、こちらも地元の超有名店で、イカの活き造りを名物としています。

 

実は前回、福岡に来た際、娘はイカの活き造りを非常に気に入り、それ以来「福岡に行ったら、またイカさん食べるんだー」と言っていました。

ので、一応イカの活き造りの「元祖」という事になっている「河太郎」には行っておくべきだろうと思い、予約をしていた訳です。

 

「河太郎」には生簀があり、その周りを囲む席がありますので、そちらの席に案内してもらいました。 

生簀で泳ぐイカを見て娘は大興奮、出て来た活き造りに触って大興奮、食べて大興奮と、ちょっとしたイカ祭り状態です。

いや、ここまで楽しんでもらえると、連れて来た甲斐があるってもんですね。

 

ところで、妻はイカやタコといった頭足類にアレルギーがあり、普段は食べる事はありません。

が、活き造りの透明な刺身と、それを美味しそうに食べる娘や僕の様子を見て、妻が思わず「食べてみたい」と言い出しました。

恐る恐る、一切れ食べてみたところ・・・・・新鮮なせいでしょうか、アレルギー反応は出ませんね。

 

生まれて初めてイカの活き造りを食べた妻は「イカのお刺身って、こんな味なの?」と非常に感動している様子。

勢いづいた妻は、後作りのゲソの天婦羅も一本だけ食べてみたんですが、それでも痒くなったりはせず、こちらも非常に美味しかったとの事。

もしかすると妻の場合、新鮮な物を少量食べる程度ならアレルギーは出ないのかも知れませんね。

 

妻は他にもゴマ鯖やおきゅうと、がめ煮といったお気に入りの郷土料理を食べる事が出来て大満足だったようです。

 

夕食後は散歩がてら、中洲の屋台街へ。

月曜の夜でしたが、割と賑わっており、美味しそうな屋台には待ちが出ています。

軽く串焼きでもつまむつもりだったんですが、待ってまで食べるようなものでもありませんので、今日のところは散歩だけにしておきましょう。

でも、気候が良くて、とても気持ちの良いお散歩でした。

 

さて、翌日は東京へ戻る日です。

飛行機は3時頃の便でしたので、昼食にうどんを食べてから帰る事にしました。

 

実は昨日の昼食も有名店の「うどん平」で食べたのですが、妻に「美味しい博多うどんのお店って他にもあるの?」と聞かれましたので、昔から評判の良い「葉隠うどん」に行ってみる事に。

ここは「うどん平」から独立したお店なのですが、僕もこれまで来た事はありません。

 

定番の「ごぼ天うどん」を食べてみましたが、うん、かなり美味しいですね。

妻の強い要望により、近年は福岡に来ると必ず「うどん平」には伺っているのですが、個人的には「葉隠うどん」の方が好きかも知れません。

是非、また来たいと思います。 

 

今回の福岡滞在では、ブログに書いていない事も含めて本当に盛り沢山の出来事があり、何だかとても疲れました。

治療による体力の衰えもあるのだとは思いますが、やはり兄の病気を知った事による精神的な負荷も大きかったのではないかと思います。

 

兄から話を聞いた感じでは恐らく大丈夫だとは思うのですが、とにかく大事に至らない事を祈るばかりですね・・・。

墓参りと病気の報告の為に福岡へ

2018年3月25日(日)晴れ。

今日から2泊3日の旅程で福岡へと向かいます。

 

前回の記事に書いた通り、前日まで娘が体調を崩していました。

今朝の娘の状態次第では福岡行きは中止するつもりでいたんですが、何とか咳は止まったようで、熱もありません。

食欲もあるようですし、本人に聞いても「大丈夫」との事ですので、当初の予定通り出発する事にしました。

 

ところで、僕の両親は既に他界しています。

実家の家族としては他に兄がおり、福岡に本社がある会社に就職してはいるんですが、転勤族である為、常に福岡に住んでいるという訳でもありません。

したがって、僕にとっては最早「帰省」という感じではないのですが、我が家では例年12月に墓参りを兼ねて福岡へ行く事が慣例となっています。

 

普通は「帰省」というと、お盆の時期になると思うのですが、仕事の性質上、僕の会社には「お盆休み」や「ゴールデンウィーク」といった長期休業は(年末年始を除いて)ありません。

また、兄の仕事も同様なので、仮に兄が福岡に住んでいる時期だったとしても、わざわざ混雑するお盆の時期に福岡に行く意味合いは薄い訳です。

 

そこで、父や母の命日辺りに墓参りを兼ねて行くのが良いかなとは思うのですが、父の命日は5月で、母の命日は12月です。

本当は年に2回行くべきなんでしょうが、なかなかそういう訳にも行きません。

 

で、唐突なようですが、妻は福岡の事が大好きです。

妻曰く「土地の雰囲気とか人の感じ」も非常に気に入っているそうなのですが、何と言っても食べ物が大好きで、中でも海産物、特に鯖の刺身や、それを胡麻醤油ダレに和えた「ゴマサバ」には目がありません。

そういった要素もあり、特段の事情が無い限り、我が家では福岡に行くのは美味しい海産物が比較的多い12月の方を選択しているという訳です。

 

ただ昨年の12月は、悪性リンパ腫の治療中だった為、福岡行きは中止していました。

が、治療が終わって一段落つきましたので、遅ればせながらの墓参りと、ここ数年は福岡に住んでいる兄に病気の事を報告する為、また甥っ子(兄の息子)2人が、それぞれ大学と高校へ進学が決まった事のお祝いもありましたので、かなりイレギュラーではありますが、この時期の福岡行きとなった訳です。 

 

当日、羽田空港までは車で行ったのですが、到着してみると、何と駐車場が満車です。

駐車待ちの列も相当長く、これは待っていても出発時刻までに空きそうにありません。

仕方が無いので近隣の駐車場に駐めようかと思ったのですが、過去に使った事は無いものの、数年前に新設された国際線のターミナルにも駐車場がある事を思い出し、行ってみる事に。

すると、数台の空きがあり、何とか無事に駐車する事ができました。

 

国内線のターミナルまでは連絡バスで移動しなければならない為、若干不便ではありますが、近隣の駐車場に駐めるよりは遥かにマシです。

春休みに突入していた事も関係していたんでしょうか・・・例年、この時期に羽田を利用する事は無かったので事情は知りませんでしたが、完全にナメてました。

ただ、ここ数年、羽田の利用者数は増え続けているようですし、今後は駐車場の予約が必須なのかも知れませんね。

 

さて、福岡空港へ到着し、タクシーでホテルへと向かいます。

その途中「かろのうろん」に行列が出来ているのを見て驚きました。

 

「かろのうろん」とは、中洲の辺りにある老舗(明治15年創業)のうどん屋さんです。

まぁ、決して美味しくないという訳ではないんですが、何と言うか、個人的には並んでまで食べるような店では無いと思っています(お気を悪くされる方がいらっしゃったら申し訳ありません)。

事実としても、僕は生まれてこのかた、この店に行列が出来ているのを見た事がありませんでした。

 

乗っていたタクシーの運転手さんに「いつからこんな事になってるんですか?」と聞いてみたところ「3〜4年前からですかねぇ」との事。

僕が「福岡出身者としては『かろのうろん』に並ぶってのは、正直、理解し難いんですが」と言うと、運転手さんも「何だか最近、急に博多のうどんの人気が出たみたいで、観光客の方が増えてますねぇ」と苦笑されてました。

 

うーん、やっぱり、タモリさんや博多華丸・大吉さんがメディアで「博多うどん」の事に言及した影響なんでしょうかね・・・。

個人的な経験としては、妻を初めて福岡に連れて来た時、僕が何気なく博多のうどんの事を教えて食べに連れて行って以来、妻は博多うどんの大ファンになってしまったという事もありましたので、まぁ、それなりに人気が出る要素はあるのだとは思いますが。

 

そんな事もありつつ、昼過ぎにホテルへ到着。

まだチェックイン出来る時間ではありませんので、フロントに荷物を預け、コンシェルジュの方におすすめのランチを聞いてみます。

「お嫌いでなければ、博多ラーメンなどはいかがですか?」と言われましたので、おすすめの店を教えてもらいました。

 

そのお店はホテルの近隣にあり、行ってみたところ、割と人気のあるお店のようで、少し長目の行列が出来ています。

妻に「並んでるけど、どうする?」と聞いてみると「他にあてもないし、博多ラーメンなら回転も早いだろうから、並んでも良いよ」と言うので、列に加わりました。

で、ならんでいる間に、この店は東京にも支店がある事が判明。 

 

別に良いんですが、どうせなら東京では食べられないお店の方が良かったですね・・・まぁでも、変に全国を意識したり奇をてらったりはしていないスタンダードなタイプの博多ラーメンで、味自体は悪く無かったので良かったですが。

 

食事を終え、少し買い物などをしながら時間を潰し、チェックイン。 

少し部屋で休んだ後、兄一家と会食する事になっている、中洲の「吉塚うなぎ屋」へと向かいました。

 

ここは地元では非常に知られた鰻料理の有名店で、久しぶり(恐らく30年ぶりくらい)に食べましたが、相変わらず本当に美味しいです。

ただ、お店の方によると、ここ数年は深刻な鰻の不漁が続いており、お客さん一人当たりに提供する鰻の量を絞らざるを得ない状況が続いているのだとか。

 

うなぎの完全養殖も一応は成功しているようですが、まだ商用化出来る段階には到達していないようですので、しばらくはこういう状態が続くんでしょうね・・・。

 

それはそうと、実は僕は悪性リンパ腫の事を兄には全く話していませんでした。

ので、これまでの経緯を話したところ、さすがに兄一家は全員、驚いた様子でした。

が、その話を一しきり終えた後、おもむろに兄が話を始めます。

 

「そうか。色々、大変だったな・・・ところでさ、実は俺、前立腺がんなんだよ」

 

・・・・・続く。