無知の知菴 〜悪性リンパ腫罹患者の日常〜

結節硬化型古典的ホジキンリンパ腫と診断され、経験した事、学んだ事、思う事。

50歳の誕生日

2018年5月31日(木)曇り。

 

今日は僕の50歳の誕生日です。

とは言え、平日だという事もあり、特に何もする予定はありません。

そもそも、特に近年は自分の誕生日に何の関心もありませんしね。

ただ、今年に関して言えば、例年より少しだけ感慨深いかも知れません。

 

僕が悪性リンパ腫に罹患している事が確定したのは昨年の5月26日でしたので、それから約1年が経った事になります。

あの時は、1年後に自分がどうなっているのかなど考える事も出来ませんでしたが、何とか無事に生きている事には感謝しかありません。

 

僕の場合、原発部位が頚部であった為、比較的早く異常に気付く事が出来たのは不幸中の幸いでした。

異常に気付いた時の悪性リンパ腫のステージはII期だった訳ですが、その段階でも特に体調が悪かったり痛みがあったりした訳ではなかった事を考えると、仮に病変部が分かりにくい場所だったとすれば、もっと病状が進んだ段階で病気が発見された筈です。

 

もしそうなれば、今頃はより悪い状態であったり、最悪の場合、生きていなかった可能性も十分にある訳ですからね・・・。

 

ただ、こういう風に書いた事とは矛盾するようですが、僕は普段あまり過去の事について仮定の状況を考えたりする事はありません。

誤解を恐れずに言うならば、僕は「運命論者」です。

 

例えば過去の事について「あの時、もしこうしていたら・・・」といった話をする人がいますが、僕にはあまり意味がある話だとは思えません。

もちろん、そういった話をしたくなる気持ちが分からない訳ではないのですが、現実としては「そうしなかった」訳ですし、仮定の話をしたところで、実際に選択した行動によってもたらされている現在の状況が変わる訳ではありません。

 

そういった意味では、一見、選択肢は複数あるように見えるものの、実際には現実に選択した一つしか存在しなかった事になる訳です。

故に、その選択によってもたらされた現在の状況は、言うなれば「予め決まっていた」と言っても過言ではありません。

 

少なくとも、実際には選択しなかった行動によってもたらされたであろう、現実には存在していない状況について考えたところで無駄ですし、そもそも、本当にそうなっていたのかどうかすら分からないのです。

したがって僕としては、ありもしない仮定の話についてあれこれと考えるより、今、目の前にある現実をしっかりと見て、よく考え、悔いの無いように行動する事に注力する方がよほど重要だと考えている訳です。

 

もちろん、こういった考え方には若干エキセントリックな部分がある事は自分でも理解していますし、ともすると気分を害される方がいらっしゃるかも知れない事は十二分にに承知しています。

もし僕の拙い表現のせいで不愉快な思いをされる方がいらっしゃったら、大変申し訳ありません。

 

ただ僕としては、要するに「現状に不満があるのだとしても、それに文句を言うのではなく、逆に満足していたとしても、それにあぐらをかくのでもなく、目の前にある現実をしっかりと見据えた上で、未来に向けて何が最善なのかを常に前向きに考え続け、実際に行動する事が重要」だと考えているという事です。

 

まぁ、御託を並べてはいるものの、実際いつもそう出来ているかと言うと甚だ疑問ではあるんですけどね。

 

さて、話を元に戻しますと、誕生日と言えば、1年前のこの日は骨髄生検をやったんですよね・・・今、思い返しても、あれは最悪でした・・・。

骨髄穿刺と骨髄生検の間にあれほどの差があるとは知らず、完全に想定外でしたね。

 

bonyoh.hatenablog.com

 

もし再び骨髄生検をやる事になったとしたら、出来れば局所麻酔ではなく、鎮静剤を使用した上で行なってもらいたいと思います。

 

確認した訳では無いんですが、子供の場合だと骨髄生検を行なう際は鎮静剤を使うらしいので、恐らく大人でも強く希望すれば使用してくれるんじゃないでしょうか。

たとえ「子供か!」などと言われようが、局所麻酔では二度とご免ですね。

 

先程、過去について仮定の話をする事には意味が無いと書きましたが、過去の話ほどでは無いにせよ、未来の話についても、さほど意味は無いと思っています。

もちろん、僕も何かを予測をする事や、備えをする事はあります。

ただ、実際に再び骨髄生検をする事になるかどうかや悪性リンパ腫の事も含め、今後、僕の身に何が起こるかなど知る由もありません。

 

ただ言える事は、悪性リンパ腫に罹患した事で、先程述べた「目の前にある現実をしっかりと見た上で、未来に向けて何が最善なのかを常に前向きに考え続け、実際に行動する事」の重要性をより痛感するようになったと思う今日この頃ではあります。

 

こういう事を書いていると、子供の頃「おっさんって、めんどくせえなぁ」と思っていた事を思い出します。

我ながら、見事に面倒臭い50歳のおっさんが出来上がってしまったなと思いますね、本当に。

 

それもまた、仮定の話では変える事の出来ない現実ですが。