無知の知菴 〜悪性リンパ腫罹患者の日常〜

結節硬化型古典的ホジキンリンパ腫と診断され、経験した事、学んだ事、思う事。

がん保険について②

前回の記事で、還元率という観点から「医療保険というのは、基本的に博打の要素が強い商品」だと書きました。

 

では、日本における(事実上、認められている)ギャンブルについて、算定可能、ないしは公開されている還元率がどの位なのかを以下に列挙します。

 

宝くじ:約45%

サッカーくじ:約50%

競馬・競輪・競艇オートレース:約75%

パチンコ・パチスロ:約85%

 

先ほど述べた医療保険の還元率の範囲と、ほぼ同じですかね。

 

もう少し、個人的な所感を述べるとすると、医療保険の還元率の「最高で8割」という部分は本当に稀で、大半は5割前後の還元率だと思います。

還元率だけの観点から言えば、医療保険は「病気の宝くじ」と言えなくもありません。

 

宝くじを買った事がある人は多いと思います。

僕自身も、何度か買った事があります。

 

で、1等当選とは言いませんが、少なくとも、公表されている数字通り「これまで買ったお金の45%が当選金で戻って来ている」という人、いますか?

 

僕自身は、そういう経験はありませんし、そういう人を見た事もありません。

 

世間一般の、宝くじに対するイメージって

「滅多に当たらないと思うけど“もし当たったら”と考えるだけで夢がある」

という感じじゃないでしょうか。

 

医療保険が、そういう性質の商品なのだとすれば、一般論としては、人に勧める事は出来ません。

 

故に、前回の記事の冒頭に書いた通り、僕は「医療保険不要論者」な訳です。

将来の医療費への備えとして貯蓄しておいたお金は「100%の還元率」ですからね。

 

しかし、医療保険と言うと、大人であれば「入っていて当たり前」というイメージもあるように感じます。

 

「え?保険入ってないの?何があるか分からないんだから、入っておいた方が良いよ」

 

とか言われたりした事はあるのではないでしょうか。

これは、保険会社の努力の賜物であるとしか言えず、本当に関心しますね。

 

逆に言えば、そういうイメージを世間に広められるだけの広告宣伝費等の経費をかけて、その上で会社として利益が出るだけの「胴元の取り分」がある訳です。

 

話を元に戻します。

 

医療保険を博打的観点から見ると、賭けに勝とうとした場合、自分が胴元よりも有利な情報を持っているかどうかが重要なポイントとなります。

 

僕の場合は、祖父母の代から僕に至る三代の病歴と、それを「どのように分析したか」という情報です。

 

医療保険は、加入するにあたり、自分の健康状態や「告知事項」と呼ばれる情報を提出しなければなりません。

場合によっては、医師の診断書や各種検査結果等を添付する必要もあります。

 

保険会社は、この内容を見て、保険を引き受けるかどうかを判断します。

告知事項に虚偽の申請があった場合、保険金が支払われない事がありますので、告知事項は事実を正確に記入しなければなりません。

当然、僕も虚偽なく、正確に記入しました。

 

ただ、僕からすれば、この告知事項の内容では、保険会社は正確なリスク判断は出来ないだろうと思われます。

 

当然、保険会社としても、そんな事は重々承知の上で、この告知事項を設定している事は分かります。

あまり厳密で執拗な質問をした所で、そんな事は分からない、あるいは覚えていない人が大半ですし、あまり加入条件のハードルを上げ過ぎると、保険に加入してもらえなくなりますからね。

 

もし、保険会社として「5割の還元率でOK」と考えているのだと仮定すれば、ある程度ゆるい条件で、まずは保険に加入してもらうの事が前提になるでしょう。

で、加入者の「2割が主な支払対象者であればOK」くらいの感じで考えているのではないかと思います。

 

具体的な根拠もありませんので、詳しくは書きませんが、僕のケースというのは、保険会社が想定している、典型的な「主な支払対象者」の範囲なのではないかと思います。

 

ちなみに、僕の場合の現時点での合計還元率は263%。

 

この数字は、仮に僕が、これまでに100万円の保険料を払ったのだとすれば、その保険料に対して、263万円の保険金が支払われるという事を意味しています。

で、この263万円が、全体として5割の還元率になる為には、526万円の保険料が必要になる訳です。

 

つまり、これまでの前提が正しいと仮定すれば、僕への保険金を負担する為には、同じタイプの保険に、同じ保険金額で加入して、全く保険金が支払われない加入者が、僕以外に4.26人必要だという事になります。

 

これまでの考察には、信憑性の高いデータが欠けている部分が多々ありますし、言ってみれば「当て推量」の部分も多い為、あくまでも「僕の個人的な意見」という範疇を出る事はありません。

が、全体として見れば、それほど無茶苦茶な考察ではないのではないかと思います。

 

このように、医療保険と言うのは、ざっくりと

 

「5枚に1枚の当たりくじを100%の確率で引ける」

 

という根拠を、自分なりに持てる人ならば、加入して良いのだと思います。

 

ちなみに、5枚の全く同じ紙か何かを用意し、4つの外れと1つの当たりを作って、中が見えない箱か何かの中に入れて、引いてみて下さい。

やってみると、当たりくじを一発で(つまり100%の確率で)引くのが、いかに難しい事か、分かると思います。

 

一回目で引ければ、収支はプラスになります。

一回目で外れた場合、その外れくじを箱に戻して、二回目で当たりを引ければ、収支はトントンです。

が、それなら貯金しておけば良い訳です。

当たり前ですが、三回目以降であれば、収支はマイナスですね。

 

医療保険に入るというのは、そういう事だというのが、僕の考えです。

がん保険について①

2017年5月29日(月)晴れ

悪性リンパ腫と確定した事で、加入しているがん保険の内容を再確認します。

 

前々回の記事「確定診断を受けて」と前回の記事「がん家系?」に書いている通り、僕は、がんになる事を確実視していました。

その為、がんを対象とした医療保険に何種類か加入しています。

 

現在有効な医療保険の内、最も古い物は、契約が2005年ですので、もう12年も前の契約になります。

一体どんな契約内容なのか、正確には記憶してませんので、今回、改めて各社に契約内容を確認した上で、支払請求を行なう必要があります。

 

現状を精査すると、大体、以下のような内容でした。

 

【A社】

保険期間:終身

払込期間:60歳

タイプ :掛け捨て

支払事由:

①死亡、または高度障害状態に該当したとき。

初めて悪性新生物と診断確定されたとき、または急性心筋梗塞もしくは脳卒中により所定の状態に該当したとき。

 

この保険は、支払事由の②が請求対象となり、これを以て契約が消滅します。

収支は大きくプラスです。

 

【B社】

保険期間:終身

払込期間:払い済み

タイプ :掛け捨て

支払事由:

①病気または不慮の事故などで死亡されたとき。

②病気または不慮の事故などで高度障害状態になられたとき。

初めて悪性新生物と診断確定されたときまたは急性心筋梗塞もしくは脳卒中により所定の状態に該当したとき。

 

この保険は、内容がA社の物と酷似しています。

実は、そもそもB社で、ある医療保険に契約していたのですが、数年後、ほぼ同じ内容でA社から割安な医療保険が出て来た為、B社の契約内容を最低限の金額にまで減額した上で払い済みとし、浮いた分をA社の契約に回したという経緯があります。

 

この保険は、支払事由の③が請求対象となり、これを以て契約が消滅します。

収支は若干のプラスです。

 

【C社】

保険期間:90歳まで

払込期間:90歳まで

タイプ :掛け捨て

支払事由:

①初めてがんと診断確定されたとき

②一旦、治療した後、がんが再発したと診断確定されたとき

③がんが他の臓器に転移したと診断確定されたとき

④がんが新たに生じたと診断確定されたとき

⑤がんの治療を目的として約款所定の入院をしたとき

⑥がんの治療を目的として約款所定の手術を受けたとき

がんの治療を目的として約款所定の通院をしたとき

 

こちらに関しては、支払事由の①⑤⑦が請求対象となります。

尚、この保険は消滅せず、90歳を上限に契約が継続出来ますが、支払事由②③④に関しては、前回の支払事由に該当した日から2年以上(僕の場合は2019年5月22日を)経過している必要があります。

 

まだ今回の治療が全て終了した訳ではありませんし、契約は継続しますので、現段階での予測でしかありませんが、収支は大きくプラスです。

仮に、今後、2037年4月28日(僕が69歳になる約一ヶ月前)迄、何の支払事由も発生しなかった場合でも、収支はプラスになります。

 

これらとは別に、先進医療を目的とした保険もあるのですが、これは今回は請求対象外ですし、がんに限定した保険という訳ではありません。

 

これらの契約を結んでおきながら、矛盾するようですが、実は僕は、基本的に医療保険不要論者で

 

医療保険に払うお金があるのなら、その分を貯蓄しておいた方が良い」

 

と言う考え方を持っています。

 

医療保険というのは、基本的に博打の要素が強い商品で、還元率に関しては、かなり低いと思われます。

 

「還元率」とは、簡単に言えば「払ったお金が戻ってくる割合」です。

例えば「AとBのどちらが勝つか」という賭けがあったとします。

 

この賭けに参加した人達の掛け金の合計を、仮に100万円としましょう。

で、勝った人達への払い戻し金額の合計を、仮に80万円とします。

この場合の「還元率」は、80%という事になります。

20%に相当する20万円は、胴元の取り分です。

 

賭け事には、必ず、この「還元率」が設定されており、保険も例外ではありません。

 

先ほど、保険の還元率について、かなり低いと「思われます」と書いたのは、医療保険に関しては、還元率の算定基準となる数値が、ほぼ公開されていない為です。

 

一部、公開されているデータや、何とか推論可能なデータから考察すると、会社や商品により異なりますが、最高で約8割、最低で4割程度の還元率と思って良さそうです。

が、入手可能なデータ数も少なく、正直に言って、データの信憑性や精度に疑問があるのも確かです。

 

従いまして、次回の記事では、各種の数字を挙げながら考察を行いますが、この考察に関しましては、甘んじて、ご批判を受ける覚悟で書かせて頂きます。

がん家系?

前回の記事で、僕は以前から、がんになる事を確信していたという事を書きました。 

今回は、その辺りの事について、少し詳しく書いてみたいと思います。

 

僕の父は、結腸を原発とするがんを患い、最終的には、色々な臓器に転移をして亡くなりました。

父の兄は大腸がんが原因で亡くなり、父の弟も、大腸がんを患われたと聞いています。

また、父方の祖母も、確か大腸がんを患った末に亡くなりました。

曾祖父母の代の事は分かりません。

 

そして、少なくとも父に関しては、おおよそ、がんにはならなそうな生活を送っていました。

 

魚と野菜が中心で、偏食せず、多品目、塩分控え目、腹八分目の食生活。

煙草は吸わず、酒はほどほど。

規則正しい生活で、適度な運動をし、早寝早起き。

当然、肥満でも無く、かと言って痩せ過ぎでもありませんでした。

 

それでも、父はがんになり、1998年5月15日、62歳で亡くなりました。

 言葉は悪いですが「早死に」と言っても過言では無い部類だと思います。

 

勿論、がんの発生に対し、生活習慣がどの程度の影響を与えるのかについては、現段階で明確なエビデンスは存在しません。

また、叔父達や祖母も、父と同様、一般的に「健康的」と言える生活を送っていたと聞いています。

 

その事だけを捉えると、がんの発症と生活習慣の間には、明確な因果関係は無いように思えてしまいます。

 

がんの発症については、遺伝的要因も存在すると言われています。

ただ、2017年の段階での医学的定説ではありますが、がんの発生に遺伝的要素が与える影響は5%程度です。

 

尚、日本人が生涯を通じて、何らかのがんになる確率は50%。

祖母はがんになりましたが、祖父はがんになりませんでしたので、これは確率通り。

父親の代は、6人兄弟中(現段階で)3人ががんになりましたので、これも確率通り。

僕の代は2人兄弟中(現段階で)1人ががんになりましたので、これも確率通り。

 

ここまでは良いのですが、問題は「何のがんなのか」です。

 

2012年の統計データによれば、日本人が初発で大腸がんに罹患する確率は16%。

祖母の場合は、単純に、この16%に入っていたとして良いんですが、父親の代に関して言えば、がんになった3人共が大腸がんなので、その確率は0.16の3乗で、約0.4%です。

 

仮に1人目が大腸がんである事を前提条件とし、残りの2人にも大腸がんが発生する確率だけを求めたとしても、0.16の2乗で、約2.6%です。

 

現在、遺伝的な要因が関与していると言われているのは「大腸がん」「乳がん」「卵巣がん」の3つで、それぞれの2012年の罹患者数と割合は以下の通りです。

 

・大腸がん:134,575人(約62%)

乳がん :73,997人(約34%)

卵巣がん:9,384人(約4%)

 

遺伝的要因によるがんが5%、その中の大腸がんの割合が62%ですから、遺伝性の大腸がんの確率は0.05×0.62で、3.1%となります。

 

この数字は、父の代の、1人目が大腸がんである事を前提条件とした(つまり遺伝性の大腸がんである場合も含んで考慮した)場合の、3人全員の大腸がん発症確率である「約2.6%」とも矛盾しません。

 

これには勿論、反論はあると思います。

自分でも反論を展開する事はできますが、ここでは敢えて書きません。

この記事を読まれた方の中で、ご意見のある方がいらっしゃいましたら、コメント欄へ投稿して頂けますと幸いです。

 

(反論を一旦、棚上げして)これらの事実を考慮すると、僕の家系には、恐らく遺伝性腫瘍の因子が存在するのではないかと考えています。

 

では、自分は本当に遺伝性腫瘍の保因者なのか?

 

それは検査してみないと分かりません。

そしてまさに、今年、検査をしてみようかと考えていたところでした。

 

ただ、これまで述べてきた事実からも、自分は恐らく遺伝性の大腸がんを発症する確率が高いだろうと予測していました。

なので、50歳が目前に迫る今年から、年一回の健康診断も人間ドックに変更しようと思い、予約も済ませていました。

また、人間ドックにも、オプションの大腸内視鏡検査を加えていたくらいです。


今回の事は、そんな矢先の出来事だった訳です。

それだけに、悪性リンパ腫と言うのは、ちょっと意外でした。

 

僕は現在49歳ですが、日本人が50歳までにがんになる確率は、2〜3%です。

加えて、生涯において悪性リンパ腫になる確率は2%程度なので「50歳までに悪性リンパ腫になる確率」は、多く見ても0.06%という事になります。

 

更に言えば「結節硬化型古典的ホジキンリンパ種」に限定すれば、生涯罹患率は0.1%ですから「50歳までに結節硬化型古典的ホジキンリンパ種になる確率」は、多く見ても0.003%という事になります。

 

僕の現状というのは、一般的に考えれば、かなりのレアケースと言えるでしょうね。

 

もちろん、悪性リンパ腫になったからと言って、大腸がんになる可能性が変わる訳ではありません。

それどころか、今回、行われるであろう抗がん剤治療、あるいは放射線治療により、今後、大腸がんを含めた二次性発がんの確率は上がるだろうと考えています。

 

これから、がんとは長い付き合いになるかも知れませんね。

もし、そうなるとしたら、出来るだけ仲良く、お付き合いしたいもんです。

確定診断を受けて

確定診断が出た日、帰宅してから週末にかけて、妻と色々と話をしました。

 

がんになってしまった事自体は、どうしようもありません。

まずは現実と向き合い、治療するのみです。

 

実は、僕は以前から妻に「確実に、がんになると思うよ」と話していました。

妻も、その事自体は頭では理解していたのですが、いざ現実の事となると、やはり動揺してしまったようです。

 

僕は改めて

 

「がんになるのは20年以上前から予測していた事なので、全く動揺していない」事

「今回の事について、決して楽観はしていないが、悲観もしていない」事

「治療方法としては、まずは標準治療を選択する」事

「標準治療が奏功しなかった場合、セカンドオピニオンを求めるつもりである」事

「いわゆる“民間療法”は、いかなるケースにおいても導入するつもりは無い」事

 

等について話し、妻も、それについて納得してくれました。

 

それら、一連の話の後、妻は、以前の記事「確定診断までの経緯その③」に登場したM氏や、医師の友人に電話を掛け、色々と話を聞いてくれた事を話してくれました。

 

bonyoh.hatenablog.com

 

また、それ以外にも自分で色々と調べ、今後の生活全般に亘る注意点等を炙り出してくれていました。

特に、日和見感染の防止策については徹底していて驚きました。

 

抗がん剤治療を行なうと、副作用として「骨髄抑制」という現象が発生します。

これは抗がん剤の影響によって骨髄能力が低下し、白血球が減少するという現象です。

 

白血球(中でも「好中球」)が減少している状態では、身体の免疫力が低下しており、この状態の時に病原菌に感染すると、場合によっては重い感染症や合併症を引き起こします。

 

そして、抗がん剤の副作用による死亡報告の中で最も多いのが、この感染によるものだそうです。

 

吐き気や脱毛どころの話ではありません。

死に至る副作用です。

 

また、死に至らないまでも、免疫力が低下している時に何らかの病原菌に感染し、熱を出したりすると、抗がん剤治療の予定が延期になってしまう可能性があります。

その場合、抗がん剤治療の効果を計算通りに発揮出来ない事になってしまうのです。

 

抗がん剤治療というのは、使用する抗がん剤の種類や量はもちろんの事、投与間隔や投与回数もきちんと決められています。

これらは、対象となるがん細胞の増殖速度等を考慮した上で設定されています。

 

したがって、抗がん剤投与間隔が伸びたりすると、その分だけ、がん細胞に再増殖の猶予を与える事になってしまい、せっかくの抗がん剤治療の効果が薄くなってしまう可能性がある訳です。

 

抗がん剤の副作用については、別の機会に詳しく書きたいと思いますが、あまりこういった観点から論じられている事は少ないように感じます。

が、言うまでもなく、抗がん剤の投与は「治療」な訳ですから、その治療効果を最大化する為にも、感染対策は非常に重要なのです。

 

こういう意味からも、妻が感染対策について具体的な方策を立ててくれた事は、とても有り難かったです。

 

「手洗い、うがいの方法及びスケジュール」という基本的な事に始まりますが

「手指衛生剤や各種除菌剤の選定」

「重点清掃箇所と清掃スケジュール策定」

「寝具の洗濯及び交換スケジュール策定」

「ペーパータオルの導入」

「食器の管理方針策定」

「食材の選定と調理及び保存方針策定」

「昆虫・ダニ類による感染への対策方針策定」

「娘と出掛ける場所の制限及び外出時の注意事項の明確化」

・・・他にも細かくあるんですが、とにかく良く考えられています。

 

「まぁ、わたしには、これぐらいしか出来ないからさ」

 

と妻は言いましたが、これは本当に、自分一人ではケア出来なかった事だろうと思いますし、正直、妻は、こういう事には割と無頓着な方だと思っていたので、その緻密さに驚きました。

 

また、それ以上に、確定診断を聞いて気落ちしていた(ように見えた)状態から半日で、いつもの調子を取り戻してくれた精神力の強さにも驚きました。

僕としても、なるべく普段通りに接してもらいたいと思っているので、この点も本当に助かります。

 

これから、妻と娘には色々と手間を掛けさせてしまう事になると思いますが、どうぞ宜しくお願いします。

確定診断までの経緯その⑰ 確定診断

2017年5月26日(金)曇り。

5月下旬としては気温が低く、湿度が高めで陰鬱な感じの天気です。

 

さて、今日は、生検の結果を血液内科に聞きに行く日です。

この日は、家族も一緒に来るように言われていたので、三人で病院へ向かいます。

 

診察室に入ると、まずは近況報告。

特に変わりはありません。

 

「今日はね、生検の結果が出てますんで、お伝えしようと思います」

 

・・・・・

 

「うん、やはりね、生検して良かったです」

 

・・・・・

 

「首の腫れはね、悪性リンパ腫である事が分かりました」

 

覚悟はしてましたが、やはり。

で、まず問題になるのは病型です。

 

「なるほど。で、先生、悪性リンパ腫には幾つか種類があると思うんですが、病型としては、どれになるんでしょう?」 

 

「仰る通り、悪性リンパ腫には色々な種類があります。あなたの場合は “ホジキンリンパ腫”と呼ばれるものです」

 

ここで主担当医は、病理診断レポートをプリントアウトして渡してくれます。

さらに、この病気に関する説明を色々としてくれました。

 

・より詳しく分類すると「結節硬化型古典的ホジキンリンパ腫」である事。

悪性リンパ腫は「非ホジキンリンパ腫」と「ホジキンリンパ腫」に大別される事。

・日本において「ホジキンリンパ腫」は悪性リンパ腫全体の1割程度を占める事。

・さらに「結節硬化型古典的ホジキンリンパ腫」は「ホジキンリンパ腫」全体の半分程度を占める事。

「結節硬化型古典的ホジキンリンパ腫」には抗がん剤が非常に有効である事。

・病期によって治療方針が変わるので、まずは病期を確定しなければならない事。

・病期は大まかに「Ⅰ」〜「Ⅳ」の四段階に分けられる事。

・「Ⅰ」と「Ⅱ」を「限局期」とし「Ⅲ」と「Ⅳ」を「進行期」と分類する事。

・「限局期」と「進行期」の違いは、横隔膜を越えて病変が広がっているかどうか(僕の場合は下半身側に病変があるかどうか)だという事。

・病期を確定する為に「PET-CT」と「骨髄検査」を行なう事。

 

うん、事前に調べておいた情報と同じですね。

当たり前ですが。

 

ホジキンリンパ種に関する基本的な情報は

ホジキンリンパ腫:[国立がん研究センター がん情報サービス 一般の方へ]

に分かりやすくまとめてあります。

 

このサイトは、がん全般に関する各種情報が載っていますので、色々と参考になると思います。

 

さて、ここまでは覚悟していた結果だったので、僕としては、まぁ、織り込み済みと言って良い内容。

が、やはり妻はショックが大きい様子。

 

妻の様子を見て、娘もただならぬ雰囲気を感じているのか、妻から目を離しません。

僕は娘の肩に手を載せ、時折、撫でたりしながら、主担当医と今後の事について少し話します。

 

まぁ、なっちゃったものは仕方ありません。

とにかく病期を確定させ、治療に取り組むのみです。

病期が限局期で、骨髄への浸潤が無ければ良いんですが。

 

それにしても、ここまで本当に時間が掛かりました。

 

仮に、最初からS病院のクリニックに行っていた場合、計算上は3月中旬に確定診断が出ていた筈です。

実に2ヶ月半もの時間をロスしました。

 

これは僕の選択の仕方にも責任があり、自衛出来ただけに、大いに反省すべき点です。

 

会員制の人間ドックとか、有料の予防医療プログラムなんかがあるのも納得です。

僕の場合はどうなのか分かりませんが、その2ヶ月半が命取りになる人だっている訳ですからね。

 

尚、骨髄穿刺は5月31日、PET-CTは6月2日に決定。

 

 

病院を出て、一家で自宅マンションまで戻ります。

妻に元気が無いですね・・・まぁ、無理もありません。

 

妻がそんな調子だと、娘も元気が無くなるので、あまり気落ちしないように妻にお願いし、僕はそのまま職場へ向かいます。

 

しかし、骨髄穿刺かぁ・・・嫌だなぁ・・・(そこじゃないだろ)。

小田原へ

2017年5月21日(日)晴れ。

気温30度を超え、夏を想わせる陽気の中、小田原へ向かいます。

 

この一週間ほど、娘が「小田原のお家に行きたい」と繰り返す為、傷の療養も兼ねて、急遽、一泊二日の小旅行です。

 

「小田原のお家」とは、娘が非常に気に入っている小田原の某ホテルの事。

尚、部屋のタイプに指定があり、そのタイプの部屋でないと、娘には納得して頂けません。

 

確かに、その部屋は本当に気持ちが良く、娘だけではなく、僕も妻も、大のお気に入りの部屋です。

 

ちょっと話は変わりますが、実は前週の土曜日、一家で富士スピードウェイに行っていました。

僕は、ある「趣味車」に乗っているのですが、いつもお世話になっているディーラーの担当の方(Kさん)がレースに出場するというので、応援に行ったのです。

 

当日は生憎の雨で、レースは波乱含みの展開。

Kさんはマシントラブルに見舞われ、予選は最下位に終わります。

が、本戦では、果敢な走りで6台を抜き去るという、僕らとしては見応えのあるレースでした。

 

富士スピードウェイは、そのディーラーの走行会やドライビングレッスン等で、一家で何度か来ています。

娘は、初めて来た時から、何故か、その雰囲気が気に入ったようで、たまに「そろそろサーキット行かないの?(「連れて行け」の意)」と言うほど。

 

で、我が家では、富士スピードウェイに行く際は「小田原のお家」に泊まる事が慣例となっているのですね。

普通に考えれば、富士スピードウェイに行く際に小田原に泊まるというのは非常に効率が悪いんですが、まぁ、色々と紆余曲折があっての事です。

 

Kさんの応援に行った日は、泊まらずに帰って来たんですが、娘としては、富士スピードウェイと小田原のお家はセットの筈なので、帰りの車中では「どうして小田原のお家に行かないの?」と100回位、聞かれました。

 

娘には、非常に執念深い所があり、それ以来、一週間「小田原のお家に行きたい」と繰り返す事により、ついに小田原行きを実現させた訳ですね。

恐るべきタフ・ネゴシエーターっぷりです。

 

さて、小田原のお家に行く前に、ちょっと寄り道をしてみます。

「娘を海に連れて行ってあげよう」という妻の提案で、目星を付けていた海岸へ向かいます。

基本的にビビリな娘は、一体どんな反応を示すでしょうか。

 

そこは、ちょっと変わった海岸でした。

完全な砂浜、という訳ではなく、砂利と半々位の砂地です。

恐らく遠浅にはなっておらず、良く調べていませんが、遊泳禁止ではないでしょうか。

 

非常に意外だったのは、海藻の漂着が全く無い事。

そのおかげか、全く磯臭くありません。

水も非常に綺麗で、これは良い場所を見つけました。

 

僕は、ある時(25〜6歳の頃)から、突然、海(と言うか海水浴場)が苦手になり、それ以来、基本的に海岸には近寄っていませんでした。

が、ここは良いですね。

他にも色々とナイスな要素があり、非常に気に入りました。

 

尚、娘は、最初はビビっていたものの、すぐに大はしゃぎし始め、挙句の果てには「そろそろ小田原のお家に行こう」と言っても「まだ帰りたくない」と駄々をこねる始末。

うん、また来ようね。

 

小田原のお家に着くと、早速、温泉へ。

気休めかも知れませんが、傷に染み入ります。

 

ここまでの経緯から、僕としても、恐らく悪性リンパ腫なのだろうという事は覚悟しています。

そこで問題となるのが、悪性リンパ腫の「種類」と「病期」。

これにより、治療法や予後が大きく変わる事は勉強済みです。

 

今度の金曜日には、生検の結果が出る予定です。

どうなるかは分かりませんが、僕としては、現実を受け止め、ベストを尽くす以外にはありません。

 

そんな事、考えるまでも無い事なんですが、温泉に浸かりながら、空を見上げていると、改めて、自分の決意を確認出来ました。

こういう時間が、きっと必要だったんでしょう。

そういう事を知ってか知らずか、ここに連れて来てくれた娘に感謝です。

 

さて、最近、我が家では、小田原のお家に泊まる際、夕食は近くの料理屋さんで食べるようにしています。

 

僕は自他共に認める「魚喰い」です。

妻は元来、特に魚に興味は無かったんですが、僕の影響で、今ではすっかり「魚喰い」化しています。

当然、娘も順調に「魚喰い」としてのキャリアを積んでおり、4歳にして、いつも魚を買っているT水産の方々も舌を巻くほどの目利きになりつつあります。

 

で、この料理屋さんは、我が家の全員が「魚が美味しい」と認めたお店。

今日は何を頂きましょう。

 

メニューを見ていると、見慣れない魚の名前が書いてあり「店主のおすすめ」になっています。

魚の名前は「おしつけ」。

おすすめの食べ方は「煮付け」になっていますが、刺身もあるようです。

 

お店の人に「どんな魚なんですか?」と聞くと「非常に脂が乗った白身で、美味しいですよ」との事。

物は試しと、煮付けと刺身の両方を注文します。

 

いざ食べてみると、どちらも、美味しいと言えば美味しいです。

 

でも、これ、何と言うか、普通に「脂が乗っている」感じとは違いますね・・・微妙に違和感のある味です。

 

後で調べて分かった事ですが、この魚は「アブラボウズ」でした。

 

アブラボウズの存在は知っていて、いかなる特徴を持った魚かも知ってはいたんですが、実際に食べたのは初めての事でした。

 

・・・道理で、お腹がゆるくなった訳です。

抜糸からの

2017年5月19日(金)晴れ。

今日は結構、暑いですね。

 

生検から一週間経ち、今日は抜糸です。

受付を済ませ、耳鼻咽喉科の診察室へ。

 

医師が、絆創膏を剥がし、傷の状態を確認します。

 

「うん、非常に状態は良いですね。綺麗に塞がってます」

 

抜糸自体は、多少チクチクするくらいで、特筆すべき事はありません。

これで、耳鼻咽喉科での予定は全て終了です。

お世話になりました。

 

「傷跡は、日焼けすると色素沈着を起こしやすくなるので、当面の間、このような医療用テープでも貼っておくと良いでしょう」

 

そう言いながら、医師がテープを見せてくれます。

見覚えあるぞ、そのテープ。

 

病院の売店に売っているというので、買いに行きます。

やはり、3Mのサージカルテープですね。

 

3Mは、僕が大学を卒業して、初めて就職した会社です。

当時は「住友スリーエム」という会社名でしたね。

サージカルテープは、厳密には別会社の製品でしたが、オフィスも同じビル内にあり、感覚的には一緒の会社でした。

 

サージカルテープは、かぶれにくく、扱い易く、何かと重宝したので、たまに倉庫からサンプル品を拝借してたのを覚えています。

 

住友スリーエムには、5年半ほど勤めました。

今から考えても、とても良い会社だったと思います。

上司や同僚にも非常に恵まれ、本当に、色々と勉強になりました。

 

4年目のお盆休みの事。

会社で一番、仲の良かった同期の男(以降「F君」とします)と、大学時代に一番、仲の良かった同級生の男(以降「M君」とします)とで、旅行に出かけました。

 

F君と僕は同郷(福岡)で、M君は福岡には行った事が無く、かねてから行ってみたいと思っていた事から、F君と僕の帰省を兼ねての旅行でした。

 

東京→京都大阪福岡沖縄福岡大阪名古屋横浜東京

 

という行程を、車と飛行機で移動したのですが、この際、ソニーのハンディカム(当時は「Hi8」という規格のテープ録画機)を購入し、ほぼ全行程を撮影しました。

 

当然、録画時間は膨大な物となり、とてもそのまま見る事は出来ません。

そこで、M君がテープの編集を買って出てくれました。

 

このM君は、映画が非常に好きな男で、大学卒業後にイマジカに就職していました。

イマジカという会社は、馴染みのない方も多いかも知れませんが、テレビや映画等の映像編集を手がける企業としては、日本で最大手の会社です。

 

M君は、仕事の合間に、空いている編集室を使って、膨大な量のテープを1時間程度の物に編集してくれるとの事でした。

 

今でこそ、動画の撮影や編集といった作業は(一般の方がパッと見て問題無い程度には)誰でも簡単に出来るようにはなりましたが、当時は割と難しい事でした。

ですから、その当時は、子供がいる上司のお宅に呼ばれたりすると、無編集のビデオを延々と見せられたりするという苦行が、サラリーマンの間では一般化していましたね。

 

編集作業において必要になる代表的な物の一つに「テロップ」があります。

「字幕スーパー」という言い方もしますが、要は画面上に出す文字等の事です。

今では「テロップ」という言葉も、ある程度は知られるようになりましたが、当時としては聞いた事も無い代物でした。

 

で、このテロップを自作する事になった訳ですが、この作業を通じ、テロップにまつわる映像業界の問題点をM君から色々と聞く事になります。

その話を聞いた僕が

 

「うーん・・・じゃ、例えば、こうすれば、全て解決するんじゃね?」

 

と言った言葉をきっかけに、現在、僕が働いている会社を創業する事になります。

創業メンバーは、僕とM君とF君。

F君は諸事情により退社しましたが、M君は専務として、今も一緒に働いています。

 

あれから、もう20年経ちましたね。

 

僕が就職した当時というのは、いわゆる「バブル崩壊」の始まった時期でした。

ただ、今から考えても、何と言うか、緊張感に乏しく「人生、楽勝でしょ」という、根拠の無い、怠惰な空気感が充満していたような気がします。

まぁ、不動産業界とか金融業界に居なかったせいかも知れませんが。

 

同期や、少し上の先輩達は「俺は30(歳)までに独立してポルシェに乗るぜ」みたいな事を、口を揃えて言っていました。

僕はと言えば、独立志向など全く無く、そういう言葉を聞いても、何故そんなリスキーな選択をする必要があるのか、全く理解出来ませんでした。

 

そんな人間が、自ら望んでもいないのに、28歳で創業する羽目となり、以来、20年以上に亘って事業を継続する事になるとは・・・

 

人生、分からないもんです。