禁煙補助剤について
前回の記事で、僕は禁煙補助剤の使用に非常に懐疑的な立場であると述べました。
今回の記事では、この事について私見を述べてみたいと思います。
本当は「そろそろ抗がん剤治療について書かなくては」と思っているのですが、話の流れ的に、とりあえず今回までは禁煙関連の話にしようと思います。
さて、2017年6月の時点で存在する「禁煙補助剤」には、大まかに分けて
「ニコチンを含む物」と
「ニコチンを含まない物」の2種類があります。
「ニコチンを含む物」としては「ニコチンガム」と「ニコチンパッチ」がありますね。
これらは要するに「タバコの代わりに身体にニコチンを供給する」訳です。
つまり
「禁煙によるニコチンからの離脱症状の緩和を目的とした薬剤」
なのであって
「ニコチン依存症の治療を目的とした薬剤では無い」
という事です。
肯定派の方は
「段階的にニコチンの摂取量を減らす事で禁煙を成功に導く」
とか言いそうですが、それは
「タバコを1日1本ずつ減らして行けば、いずれ辞められる」
とする理屈と同じです。
そんな理屈で禁煙する事が出来るのなら、誰も苦労しません。
また、百歩譲って、その理屈で禁煙する事が出来るのだとすれば、これらの薬剤は使用する必要が無いという事になります。
タバコを1日1本ずつ(ペースは別に2日に1本でも3日に1本でも1週間に1本でも構いませんが)減らして行けば良い訳ですからね。
更に言えば、仮に、これらの薬剤を使用する事で禁煙に成功したとしても、タバコの代わりにニコチンガムやニコチンパッチに依存する可能性があります。
事実、そういう報告も散見されますね。
結論として、このタイプの禁煙補助剤を使う際、新たな依存症を生む可能性があるというデメリットはあっても、メリットはありません。
勿論、このタイプの禁煙補助剤を使って禁煙に成功した人達もいるようですが、そういう人達は、そもそも薬剤に頼らなくても禁煙出来た人だと思います。
次に「ニコチンを含まない物」としては「バレニクリン」という薬剤があります。
ここで、タバコを吸うと何が起こるかをおさらいします。
タバコを吸うと、ニコチンが体内に取り込まれます。
ニコチンは、脳内のニコチン受容体に結びつき、ドーパミン等の物質が分泌されます。
これにより、脳が幸福感や満足感等を感じる、というメカニズムがある訳です。
そもそも(少なくとも人間の)脳には「アセチルコリン」という神経伝達物質を分泌する機能があります。
非常にザックリとした言い方をすると、この「アセチルコリン」は、ニコチン受容体を含む「アセチルコリン受容体」に結び付く事でドーパミン等の物質の分泌を促し、それらにって、身体の状態を健全に保つという働きを持っています。
ニコチンは、アセチルコリンに似た構造を保つ物質で、体内に取り込まれると、アセチルコリンの代わりにニコチン受容体に結びついてしまいます。
従って、タバコを吸うと、脳のアセチルコリンの分泌能力が低下してしまい、代わりに代替物質であるニコチンを欲するようになってしまうのです。
「バレニクリン」は、脳内のニコチン受容体に結びつき、ドーパミンの分泌量を、ニコチンと結びついた時の半分程度に抑えるという効果があります。
これにより「まずは禁煙時の離脱症状を緩和する」という理屈です。
また「バレニクリン」を服用していた場合、仮にタバコを吸っても、既にニコチン受容体には「バレニクリン」が結合している為、ドーパミン等の物質が分泌される事はありません。
故に、タバコを吸っても「イマイチ美味くない(幸福感や満足感が無い)」と思わせ、喫煙体験の価値を減じようとする薬です。
結局の所「バレニクリン」はニコチン受容体へのニコチンの結合を阻害しているだけで、身体を正常な状態に導く、つまりアセチルコリンの分泌能力を回復させる訳ではありません。
要するに、抜本的なニコチン依存症の解決には結び付かないのです。
それだけならまだしも、この「バレニクリン」には非常に重篤な、かつ複数の副作用を引き起こすという報告がなされています。
もちろん、効能のある薬剤には副作用がつきものである事は分かります。
その上で、通常
「効能によるメリット≧副作用によるデメリット」
という関係が成立するのであれば、薬剤として意味があるです。
が「バレニクリン」に関しては、僕が調べた限りでは、副作用によるデメリットが大き過ぎると思います。
正直「バレニクリン」を使うくらいなら、禁煙なんかしない方が良いんじゃないでしょうかね。
うーん、でも、この話って、抗がん剤の是非に関する議論と似てますよね・・・。
禁煙補助剤に対する上記のような考え方とか立場って、特に珍しい訳ではなく、ネット上でも一定の割合で存在するように思います。
当たり前かも知れませんが、それに対する製薬会社の公式な反論というのは、なかなか見えてきませんね。
本当はどう思っているか、一度、本音を聞いてみたいものです。