抗がん剤治療その③ ABVD療法2クール目前半
2017年7月14日(金)晴れ。
完全に夏の天気です。
もうこれ、梅雨開けてるんじゃないですかね?
さて、今日はABVD療法3回目です。
総合受付を済ませ、まずはオンコロジーセンターへ。
いつものように、まずはラインを取ってもらいます。
この時もそうなんですが、S病院では、何か行なう度に、名前と生年月日を言わなくてはなりません。
で、いつものように生年月日を告げたんですが、何と、この時に担当して頂いた看護師さんが僕と全く同じ生年月日である事が分かってビックリ。
僕もそうですが、その看護師さんも、これまで全く同じ生年月日の人に会った事は無かったそうです。
ちょっと調べてみた所、理論上、僕と同じ生年月日の日本人は5,128人ほど存在するはずです。
で、現在の日本の人口が127,000,000人ほどですから、24,766人に1人、0.004%の割合で同じ生年月日の人が存在します。
一説によると、人が一生(80年)のうちに「何らかの接点」を持つのは30,000人、ある程度の話をしたりするのが3,000人位なんだそうです。
仮に、この数字が正しいのだとすれば、今回のような体験をする確率は約1/8、12.5%という事になりますね。
一見、大した事のない数字のようにも思えますが、一生のうちに同じ生年月日の人と(実質的に)出会えるのは8人に1人だけなのだと考えると、意外と珍しい事なのかも知れません。
「だからどうした」と言われても、それ以上の事は何も無いんですが。
ちなみに、僕と同じ生年月日の有名人には、女優の鈴木京香さんがいらっしゃいますが、その看護師さんも当然その事をご存知だったのには少し笑いました。
尚、5月31日というのは「世界禁煙デー」でもあります。
はい、これもどうでも良いですね。
この日は口腔外科の定期診断も入っていますので、採血後、血液検査の結果が出るまでの時間を利用し、口腔外科へ向かいます。
口腔外科では、特に問題は指摘されませんでしたが「口の中が乾きやすい体質」との事で、うがいを頻繁にするように言われました。
尚、抗がん剤治療中のうがい薬としては「イソジン」のようなポピヨンヨード系の物は使わない方が良いそうです。
口腔外科の診療後、血液内科へ。
最近の体調について、主担当医に以下の点を伝えます。
・睡眠障害が続いている事
・手足の痺れが強くなって来ている事
・前回の抗がん剤治療後に血管痛が10日以上続いた事
睡眠障害については、とりあえず、睡眠薬「ブロチゾラム」を処方してもらう事に。
まずは、これを飲んで様子を見るように言われます。
手足の痺れに関しては、特に処置はありません。
これは、自然に症状が治まるのを待つしかないとの事。
ちなみに、以前、別のクリニックで処方してもらった「メチコバール」を飲んでも構わないかと聞いてみると、特に問題無いとの回答。
気休めにしかならないかも知れませんが、一応、飲んでみようと思います。
血管痛に関しては、とりあえず今回から右腕にラインを取る事にしたので、それで様子を見るしかありません。
主担当医としては、一応、ダカルバジンの調剤時間や遮光等について注意するよう、改めて指示しておくとの事でした。
血液内科での診察を終え、再びオンコロジーセンターへ。
いつも通りの手順で治療は進みます。
お昼を過ぎて、お腹が減って来ましたが、今日は前回の反省を踏まえ、おにぎりとお茶を持参しました。
ブレオマイシンの滴下開始が13時過ぎで、終了まで30分ほどかかりますので、その間に頂くと丁度良いですね。
そして、いよいよダカルバジンの滴下。
看護師さん達には念入りに遮光して頂き、ホットパックも沢山持って来て頂きました。
皆さんには色々とお気遣い頂いて、本当に感謝です。
結果なのですが、今回は、ダカルバジンの滴下中も、また滴下後も、特に血管痛は出ませんでした。
正直、右を使うのが初めてだったという事も大きいとは思いますが、とりあえず、血管痛が出なかった事は本当に良かったです。
今のところ、4回目(最後)も、右を使う予定。
この調子で、何とか乗り切れると良いですね。
乳がんに肺がん!?
2017年7月12日(水)晴れ。
しばらく続いていた左腕の血管痛ですが、この辺りで、ようやく落ち着いて来ました。
とりあえず、これには一安心です。
ただ、睡眠障害の方は相変わらず続いており、こちらは、ちょっと仕事に支障があるレベル。
何しろ、絶対的な睡眠時間が足りませんので、日中の集中力が全く持ちません。
この点について、この日の役員会で話をして、当面、13時出社の21時退社というサイクルに変えてもらう事にしました。
これにより、何とか1日の睡眠時間を4時間半ほど確保する事を狙います。
ついに仕事に実害が出てしまいました・・・皆さんには、本当に申し訳無いです。
ちょっと落ち込んだ気分のまま、この日、帰宅すると、ショッキングなニュースが待っていました。
以前の記事「入園式」で触れた通り、妻のお父さんである「じいじ」は、奥様を亡くされた後、再婚されている訳なのですが、現在の奥様であるKさん(51歳)が「乳がん」と診断されたとの事。
病期としては「ステージ0」なのだそうですが、慎重に検討した結果、片方の乳房の全摘手術に踏み切るのだそうです・・・。
僕は女性ではないので、完全には理解し切れないとは思いますが、それでも、その辛さは察して余りあります・・・。
また、それに加えて、初期の肺がんを併発している疑いが強いらしいのです・・・。
従って、まずは乳がんの手術を行ない、状態が落ち着き次第、肺がんの腹腔鏡検査を行なうとの事。
それも、場合によっては、そのまま手術に踏み切る体制で臨むのだそうです。
これも辛いですね・・・。
そんな状況ですから、上記の「入園式」の記事にある通り、酒も飲めばタバコも吸い、超偏食の「じいじ」が完全なる健康体である事に対し、奥様は相当にイラつかれているご様子。
奥様の「じいじ」に対する当たりは相当にキツいようで、さすがに音を上げているのだそうです。
まぁ、それは仕方ないですよね。
奥様の心情は分かりますし、さすがに「じいじ」も(少なくとも自宅では)色々と節制して頂いた方が良いと思います。
しかし、僕の悪性リンパ腫に始まり、妻の子宮頸がんの疑い、そしてKさんの乳がんと肺がん・・・それに、あまり詳しくは書けないんですが、実は会社絡みで、他にも「がん」になられた方々もいらっしゃる状況で・・・
うーん、今年は何で、こんなに「がん」絡みの出来事が集中するんでしょうかね。
さて、そんな話をしながら、妻が夕食を用意してくれたんですが、今日は、妻が行きつけの魚屋さんで「アカシタビラメ」を入手して来たとの事。
それで、以前の記事「子宮頸がんの検査へ」で書いた「くつぞこ」の煮物を作ってくれたんですが、その再現力の高さにはビックリしました。
妻によれば、魚に少し塩を降って水気を拭き取った後
水:200ml
酒:200ml
醤油:大さじ3
味醂:大さじ3
砂糖:1つまみ
生姜:1片(薄切り)
くらいの比率で作った煮汁で、落とし蓋をしながら、15分ほど中火で煮たそうです。
シタビラメと言えば、ムニエルにする事が多いと思いますが、僕としては、こちらのレシピの方がオススメです。
この時期が旬の魚でもあり、本当に美味しかったですね。
ごちそうさまでした。
それは禁煙「うつ」なのか抗がん剤「うつ」なのか
2017年7月7日(金)晴れ。
ようやく、このブログの執筆開始時に追い付きました。
この日、職場でデスクワークをしていたんですが、夕方頃、どうしても仕事をしている事が辛くなって、職場を飛び出してしまいました。
どういう風に「辛い」と感じたのかは、上手く表現出来ません。
実は前日の木曜には、朝起きても仕事に行く気がせず、急遽、自宅作業に切り替えたという出来事もありました。
僕は仕事柄(主にシステム開発系の業務で)、夜中に自宅で作業をする事も多々ありますので、大抵の仕事は済ませられるような環境は自宅に整えています。
その日(つまり7月6日木曜日)の業務内容的には、自宅作業でも問題が無い物ばかりだったので、奇しくも、その環境が役に立った(?)形だったのですが、我ながら、あまり褒められた行動とは言えませんね。
とにかく、木曜の件にしろ、この日の件にしろ、こういう気分は初めての事で、自分自身、少なからずショックでした。
しかし、職場を飛び出したものの、一体どこへ行くか。
少し悩んだ結果、会社の車に乗って、職場近くの路上パーキングメーターに駐車する事にしました。
車を駐めてシートを倒し、目を閉じます。
FMラジオからは、社会人のリスナーからのお悩み相談や日々の報告なんかが、とりとめもなく流れて来ます。
そういう話や、合間に流れて来る音楽なんかを聞くとも無しに聞いいていると、だんだんと落ち着いて来ました。
こういう精神状態と、最近、僕が感じている体調の変化には、一定の関係があるのかも知れません。
体調の変化の理由は、恐らく抗がん剤の影響と禁煙の影響だと思います。
この日は、禁煙を開始して約3週間になりますので、まだ禁煙による離脱症状の影響がある(人によっては影響がピークに達する頃の)筈です。
抗がん剤治療と禁煙を同時に開始したせいで、ちょっと因果関係が分かりにくくなってしまっている部分はありますが、具体的な現象としては、以下の様なものです。
【恐らく禁煙と抗がん剤のどちらにも影響されているもの】
[末梢神経障害]
・主に手足の痺れです。口の中にも軽い痺れを感じる時もあります。
[睡眠障害]
・寝付いても大体1時間半で起き、その後3時間位は寝られません。
従って、1日の睡眠時間は、上手く行っても大体3時間程度になります。
・上記の影響もあるとは思いますが、日中に強烈な眠気に襲われます。
[倦怠感]
・睡眠障害と無関係とは言えませんが、とにかく身体がダルいです。
あまり身体に力が入らない感じがします。
[軽いふらつき]
・何と言うか、軽く地に足が着いていない感じがします。
【恐らく抗がん剤にのみ影響されているもの】
[味覚障害]
・主に単純な塩分と、コショウに対する感受性が鈍くなっているように感じます。
[血管痛]
・明らかにダカルバジンの影響です。睡眠障害とも深く関係していると感じます。
尚、これらの身体的症状から発生する精神状態の変調を、最近では「禁煙うつ」とか「抗がん剤うつ」とか言うようです。
実は僕は、大学生の時に社会心理学を専攻しており、その関係で、精神医学もそれなりに勉強しています。
なので、最近の「うつ」にまつわる諸事情等に関しては、正直、言いたい事が山ほどありますし、僕としては「うつ」という言葉を、簡単には使って欲しくありません。
が、それについては、また別の機会にします。
さて、そして何故かこの時、趣味車に乗って首都高を走りたいと思いました。
以前の記事「小田原へ」で、僕がある趣味車に乗っている事に触れましたが、その車に乗って首都高を走りたい(正直に言えば、少しスピードを出して走りたい)と思ったのは初めての事で、その事実も僕を少なからず動揺させました。
実際に走る事はありませんでしたが、こういう思考には気を付けないといけません。
更に妻からは「最近、明らかに酒量が増えている」との指摘も受けています。
これについては、僕にも自覚はあり、正直、睡眠障害との兼ね合いも大きいのですが、やはり気を付けなければいけませんね。
やっぱり、少し精神的に病んでるのかなぁ・・・。
便秘とか血管痛とか
2017年7月5日(水)曇り。
この日、朝から強烈な腹痛に見舞われました。
脂汗が出る位、強烈な腹痛です。
しかし、この日は客先での重要な打ち合わせが2件入っていて、どうしても会社に行かなくてはなりません。
ただ「こんな体調で本当に大丈夫なのか?」と、我ながら不安なレベル。
実は1日前の話。
朝起きて、しばらく(4日ほど)便が出ていない事に気が付きました。
一応、これも病院から貰っていた資料にあった「連絡すべき体調の変化」の一つです。
したがって、病院に連絡し、診察を受ける事に。
事情を主担当医に話すと、とりあえず「マグミット錠」と「ピコスルファートナトリウム内服液」の2つを処方され、しばらく様子を見るように言われました。
「マグミット錠」は主成分が「酸化マグネシウム」で、大腸内や便に水分を引き寄せ、排便をしやすくするという薬です。
分類としては「機械性(塩類)下剤」になりますね。
また「ピコスルファートナトリウム内服液」は、大腸を直接刺激するタイプの「刺激性(ジフェニルメタン系)下剤」に分類される薬で「マグミット錠」を飲んでも効かなかったら、こっちを飲むように言われました。
また、他に何か気になる症状は無いかと聞かれたので、血管痛がまだ続いている旨を伝えます。
正直、寝ていると、たまに痛みを感じて起きてしまうような状態です。
腕を見ると、痛みの出ている血管の部分が茶色く変色してしまっているのがハッキリと分かります。
まるで薬で焼けてしまったかのよう。
主担当医からは、血管の状態が回復するには、ある程度(数ヶ月〜場合によっては年単位)の時間がかかる事と、この状態になってからの有効な対策はあまり無い旨を告げられます。
仕方が無いので、とりあえず次回の抗がん剤治療からは腕を右に変える事にしました。
また、これ以外にも、2回目の抗がん剤治療の直後から、抗がん剤の「心毒性」とか「肺毒性」といった言葉の意味が体感的に分かるようになって来ました。
「心毒性」に関しては、特に寝入りの際に感じるのですが、何と無く心臓が止まりそうな感じがして、上手く入眠出来ない事が増えました。
また「肺毒性」に関しては、意図的に深く息を吸い込む際、少し苦しさを感じるようになっています。
抗がん剤治療が終わるまでは負荷が高めの運動は避けるようにしていますが、もし運動すれば、多分、息切れするか、咳き込むのではないかと予想されます。
さて、便秘の話に戻りますが、とりあえず、医師に言われた通り、7月4日の朝・昼・晩と、マグミット錠を飲んでみました。
すると、確かに翌日の朝、便が出るには出たんですが、その後、冒頭の様に強烈な腹痛に見舞われる事になります。
「マグミット錠」は、作用としては比較的穏やかで、腹痛などの副作用は出にくいとされている薬なので、これは意外でした。
ちょっと話が飛びますが、僕は普段、割とラフな格好で仕事をしています。
が、客先での打ち合わせがある場合は、ジャケットやパンツを含め、比較的タイトな服を着て出掛けます。
実は排便の後、出勤の際に、このタイプの服に着替えた直後から腹痛が発生しました。
これは今でもそうなのですが、抗がん剤治療を始めてからと言うもの、タイトな服を着るのを非常に億劫に感じるようになってしまいました。
何と言うか、単純に苦しさを感じますし、上記の便秘のケースほどではありませんが、軽い腹痛を覚える事もあります。
この便秘のケースでは、何がそれほどまでの腹痛を発生させたのか分かりません。
「マグミット錠」を服用したのは、この時が初めてだったのですが、体に合わなかったのかも知れません。
抗がん剤や服装との相互作用の結果だったのかも知れません。
それとも、他に僕が気付いていない要因があったのかも知れません。
腹痛の原因が全て「マグミット錠」にあるという訳では無いと思いますが、とりあえず使用は中止しました。
その結果、腹痛は発生しなくなり、また、便秘にもなってはいません。
また、当然の事ながら「ピコスルファートナトリウム内服液」は未使用のままです。
正確な原因が分からないので、こういう態度は正しくないとは思うのですが、今後、余程の事が無い限り「マグミット錠」は服用しないでしょうね、きっと。
娘の誕生日(厳密には1日前)
2017年7月2日(日)晴れ。
今日は本当に暑いです。
明日、娘は4歳の誕生日を迎えます。
義父は、例によって泊まりがけで来る気満々だったらしいのですが、今回は僕の病気の状況もあり、妻が断固として拒否。
楽しみにされてたでしょうに、大変申し訳ありません。
誕生日と言えばケーキが必須アイテムだと思いますが、何故か娘はケーキがあまり好きではありません。
どうも生クリームが苦手なようですが、実際のところは分かりません。
とりあえず「今回はアイスケーキにするのが良いのではないか」という妻の提案もあり、色々と調べた結果、表参道まで買い出しに出かけます。
買って来たアイスケーキは、なかなかに美味しそう。
娘も気に入ってくれれば良いのですが。
また、毎年恒例の誕生日用のバルーンも届いたので、早速開梱。
バルーンを見た娘は、大変ご機嫌なご様子。
昨年までは、バルーンを見ても対して反応が無かったのですが、3歳と4歳では、割と認知に差があるんですかね。
今日の晩御飯は、僕がバックリブを調理する事にします。
娘が骨付きの肉が大好物だと言う事もあり、近年、我が家では記念日にラムチョップを食べる事が恒例になっているのですが、今回はバックリブを選択しました。
余談になりますが、僕は割と料理が得意です。
母親が家で仕事をしていた事もありますが、子供の頃から料理全般の「合理性」に興味
があった事もあり、中学生の頃から、土日は僕が昼食を作っていました。
また、上京してから、一人暮らしが長かった事もあり、自然と料理の腕は磨かれて行きました。
これは妻から聞いた事ですが、本来は結婚願望が無いに等しかった妻は、僕の料理に胃袋を掴まれたらしく、それが僕と結婚する大きな要因であったようです。
とは言え、結婚後は、基本的には料理は妻にお願いしているんですが。
僕と出会って以来、妻も料理に関して興味が出たようだったので、基本的な調理技術はほぼ全て教え込みました。
ただ、その後は妻が独力で腕を磨いて行き、現在では僕よりも上手くなった料理も多いですね。
日々のご飯が美味しいというのは、本当に有難い事で、その点でも、妻には本当に感謝しています。
さて、僕がバックリブやスペアリブを調理する際は、基本的にはフライパンで焼いて、ソースを絡めて終わりなのですが、今回は、ちょっとした事情があって、少し煮てみる事にします。
今回の手順とレシピとしては、以下の通りです。
1.まずバックリブには1cm程度の間隔で切り込みを入れ、常温に戻します。
2.直前に塩・こしょうを振り、フライパンで全体に焦げ目が付く程度に焼きます。
※焼いた結果「脂が出過ぎている」と感じた場合は、キッチンペーパー等で脂を取り除いて下さい。
3.スペアリブがひたひたになる程度に、お湯とお酒(10対1程度の比率)を加え、中火(沸騰しない程度)で30分程度、アクを取りながら煮ます。
4.タレ(醤油1:酒1:みりん0.2:砂糖0.1:白だし0.2:オイスターソース0.1)と、にんにくと生姜のすりおろし(適宜)を加えます。
5.煮汁が少なくなって来たら、火を調節して、焦げないように気をつけながら、とろみが出る程度まで煮汁を煮からめて完成です。
ちなみに、我が家のレシピは、基本的に「甘味」を必要最低限しか付けません。
味付けの方向性を含め、我が家の料理に関する基本的な調理方法の導入を行なった僕の好みなので仕方が無い部分があるのですが、良いのか悪いのかは別にして、妻も娘も、すっかり、そういうレシピを好むようになってしまいましたね。
尚、今回の料理は、妻と娘には大変好評だったので、まぁ良かったのですが、僕としては、大いに改善の余地があると感じました。
一番の問題は、肉の旨味が、ほぼ煮汁側に流れ出てしまっている点ですね。
まあ、そうなる事が、ほぼ分かっていたので、これまでは、この調理法を選択していなかった訳ですが。
「肉の柔らかさを求めるのであれば仕方が無い」と言われれば、その通りなんでしょうが、出来れば何とかしたい問題です。
一応、既にアイデアはあるので、今度、試してみたいと思います。
食後は、アイスケーキにロウソクを立て「ハッピーバースデートゥーユー」を歌いながら、娘の誕生日を祝います。
妻の目論見通り、アイスケーキは「美味しい」と言いながら、良く食べますね。
それにしても、久し振りに満面の笑みを浮かべている娘の様子を見ていると、こっちまで本当に幸せになります。
実は、僕が悪性リンパ腫になって以来、娘の顔から「満面の笑み」が失われつつあると感じています。
この事実は、僕や妻にとって相当にキツく、プレッシャーを感じずにはいられません。
とにかく、まずは僕が全力で病気を治さなければなりませんね。
頑張ります。
子宮頸がんの検査へ(そして何故か博多うどん行脚の始まり)
2017年7月1日(土)曇り。
この日は、妻の子宮頸がんの検査です。
最近、不正出血が続いているらしく、妻の行きつけのクリニックで相談した結果、まずは細胞診を行なう事に。
何事も無ければ良いのですが・・・。
しかし、夫婦揃って同時に「がん」とか、本当に勘弁して貰いたいですね。
ただでさえ、僕が悪性リンパ腫になった事で、妻には相当な負担が掛かっています。
それに加えて、自分も「がん」という事になれば、その負担やストレスは想像を絶するものがあります。
また、そうなれば、僕も含めた本人達の負担は勿論の事、子供の事が心配です。
正直、既に娘は「がん」という病気が普通の病気では無い事を理解しています。
それだけに、自分が色々と我慢をしなければならないという事を頭で理解しようとしています。
しかし、4歳の子供にとって、そういう形で我慢する事を覚えるというのは、あまり健全な事では無いと思いますし、実際、娘にも相当なストレスが掛かっている事は、ひしひしと感じています。
それに加えて、母親も「がん」だという事になれば・・・そんなの、4歳の子供には耐えられ無い環境でしょうね、恐らく。
もし、本当にそうなれば、一体どうするべきなのか・・・僕と妻の、親族を含めた環境を考慮してみても、現在のところ、あまり有効な対策は思い付きません。
とにかく、一家三人で何とか頑張るしか無いのでしょうか。
さて、検査に向かう前、妻が昼食に
「博多うどんが食べたい」
と言い出しました。
僕は福岡(厳密には“博多”ではありませんが、まぁ“博多の近く”と言って差し支え無い場所)出身で、妻も当然、博多には何度か来ています。
そして妻は、とにかく博多の事が大好きで、博多の郷土料理にも目がありません。
で、妻が大好きな料理の中に「博多うどん」がある訳ですが、これを東京で食べられる店は限られています。
現在はタモリさんや博多華丸・大吉さんの影響か、東京でも「博多うどん」に対する認知は向上して来たように思いますし、わずかながら、東京でも「博多うどん」が食べられる店は増えて来ました。
が、妻が「博多うどん」にハマったのは5年ほど前、結婚直前の事で、当時は東京都心で「博多うどん」が食べられる店は、本当に限られていました。
そんな中、妻が大変お気に入りなのが、八重洲にあるお店です。
そのお店は土曜は営業しているので「じゃ、今日はそこでうどんを食べよう」という事になったのですが、車を止めて、店に到着すると、何と営業していません。
臨時休業なのか・・・仕方が無いので、近所で適当に昼食を済ませ、検査に向かいますが、妻は「博多うどん」が頭から離れない様子。
検査後、家に戻って、八重洲の店や、現在の首都圏における「博多うどん」の状況をネットで調査します。
その結果、詳述はしませんが、5年前とは状況が色々と変わっている事が判明。
これは、ちょっと企画を立てても良いかも知れません。
調査結果をまとめ、とりあえず妻に報告。
その上で「今日はこれから、赤坂で晩御飯を食べます」と伝えます。
その店は、有明の食材を中心に、九州の郷土料理を出す店で、夜でも「博多うどん」が食べられます。
妻は、やや面食らったようですが、快諾。
僕も九州料理の店に行くのは本当に久し振りだったので、楽しみです。
店に着いて、メニューを眺めながら、色々と考えた結果
・おきゅうと
・がめ煮
・わらすぼ
・ごま鯖
・くつぞこ
・佐賀牛の串焼き
・ごぼ天うどん
等を頂きました。
その中で、妻が食べた事が無かった料理として「がめ煮」と「くつぞこ」があります。
「がめ煮」とは「筑前煮」の原型と言って差し支え無いと思いますが、イメージとしては「筑前煮」の味が2〜3倍くらい濃くなった感じの料理です。
妻は、僕から聞いて「がめ煮」の存在は知っていました。
で、妻は「筑前煮」が好きで、普段、良く作っているのですが、初めて食べた「がめ煮」には衝撃を受けた様子。
「こういう味付けも美味しいねー。今度、作ってみる」と。
ちなみに、僕の母親の実家で出て来た「がめ煮」には(多分)干し鱈が入っていた記憶があり、僕は、それがすごく好きでした。
今度、妻が「がめ煮」を作る際は、入れてみて貰おうと思います。
もう一つの料理「くつぞこ」とは「アカシタビラメ」の事ですが、これを薄味の煮汁で煮た物を食べた妻は、かなり感銘を受けた様子。
これに関しても「今度、作ってみる」との事。
尚、上記の料理の中で、本来、妻が一番好きなのは「ごま鯖」なのですが、これは、現在でも、やはり東京で美味しい物を食べるのは難しいんでしょうかね・・・。
鮮魚の流通に関しては、僕が東京に出て来た頃とは比べ物にならず、地方の美味しい魚(料理)を食べる事が出来るようになって来ましたが、とりわけ鯖は難しいようです。
三浦や千葉でも刺身で食べられる良い鯖が獲れますが、やはり食文化の違いなんでしょうかね、調理法や管理法が発達しておらず、東京で美味しい「ごま鯖」を食べられた事はありません。
「ごま鯖」も「博多うどん」同様、主にタモリさんの影響で、東京でも、それなりに認知されて来ているイメージなんですけどね・・・残念です。
しかし、とりあえず、久し振りに博多の「ごぼ天うどん」を食べた妻が幸せそうだった事が何よりです。
そして、この日を境に、しばらく首都圏での「博多うどん行脚」が始まる事に。
レビューは、どこかでまとめて紹介したいと思います。
抗がん剤治療その② ABVD療法1クール目後半
2017年6月30日(金)曇り。
今日は2回目の抗がん剤治療です。
以前の記事「病期確定までの経緯その③」で書いた通り、抗がん剤治療は2クール、計4回を予定しています。
尚、今日を含めて、残り3回は「オンコロジーセンター」という場所への通院にて治療を行なう予定です。
初めてオンコロジーセンターの受付に行きましたが、結構な数の患者さんが居ますね。
もしかしたら金曜は患者さんが多いのかも知れません。
しかし、オンコロジーセンターに居る患者さん達の印象は、何と言うか、一昔前の「がん患者のイメージ」ではないですね。
僕の父親なんかと比べると、随分、印象が違います。
近年、抗がん剤治療は随分と進歩しているようですが、やはり、その成果なんでしょうか。
ただ、脱毛の対策は昔から有効打が無いようで、確かに、その部分(見え方)は昔から変わりませんね。
上手く言えませんが、抜け方と言うか、生え方と言うかが、独特な感じです。
受付を済ませ、しばらく待っていると名前を呼ばれ、部屋へと案内されます。
案内された部屋には、カーテンで仕切られたリクライニングシートが10脚ほど並んでいます。
「お好きな席へどうぞ」と言われるので、空いている席に座って待って待ちます。
ほどなくして看護師さんがやって来て、まずは点滴用のラインを取り、そのまま採血。
採血を終えると、一旦、オンコロジーセンターを出て、血液内科へ行くように言われます。
血液内科の受付では
「血液検査の結果が出てからの診察になりますので、1時間ほどお待ち下さい」
と言われ、おとなしく待つ事に。
1時間ほど経った頃、名前を呼ばれ、診察室へ入ります。
主担当医からは、血液検査の結果に問題は無い為、予定通り抗がん剤治療を行なう旨を告げられます。
その他には特に診察等も無く、再びオンコロジーセンターへ。
待合でしばらく待っていると、再度、先程の部屋へと案内されます。
さて、いよいよ治療開始です。
まずは制吐剤(イメンドカプセル)を飲み、効果が出るまで1時間ほど待ちます。
リクライニングチェアの脇には小さなテレビが置いてあります。
事前に貰っていた、外来での抗がん剤治療の案内書に
「テレビを見る際はイヤホンを使用して下さい」
との記述がありましたので、僕も一応、イヤホンを持って来ています。
暇なので、とりあえずイヤホンを繋ぎ、テレビを眺めながら待つ事に。
1時間後、ようやく点滴開始。
薬剤滴下の順番は、入院して治療を行なった1回目と同じで、以下の通りです。
1:制吐剤「デカドロン注射液(13.2mg)」及び「アロキシ静注(0.75mg)」
2:抗がん剤「アドリアシン注用(ドキソルビシン塩酸塩/43mg)」
3:抗がん剤「ブレオ注射用(ブレオマイシン塩酸塩/17mg)」
4:抗がん剤「エクザール注射用(ビンプラスチン硫酸塩/10mg)」
5:抗がん剤「ダカルバジン注用(ダカルバジン/650mg)」
点滴は順調に進みますが、ダカルバジンの滴下を始める時点で、時間は午後2時。
さすがに、お腹が減って来ました。
前述の案内書に「オンコロジーセンター内での飲食可」と書かれていた理由が分かりました。
次からは、お弁当を持って来るべきですね。
さて、ダカルバジンが終われば治療は終了ですが、滴下を始めて10分ほど経った頃、異変が発生。
何か・・・腕が・・・痛い・・・・・?
もしかして、これが噂の「血管痛」でしょうか???
初回の治療時、特に何も感じなかったので完全に油断してましたが、明らかに腕、と言うか、ルートを取っている血管の先が痛いです。
痛みは地味に強く、少し脂汗が滲んで来ました。
しばらくすると、看護師さんが様子を見に来ましたので、血管が痛い旨を伝えます。
すると、看護師さんは、温かいカイロのような物が入った、腕に巻く袋のような物を持って来てくれました。
「大丈夫ですか?温めると、少し痛みが和らぐようなんですが・・・」
うーん・・・正直・・・あまり和らぎませんね・・・・・。
輸液バッグを見ると、あと少しで滴下が終わりそうです。
とにかく、ここは耐えるしかありません。
程なくして、ダカルバジンの滴下が終了。
その後、看護師さんが、少し多目に生理食塩水を流してくれます。
これは、確かに少し楽になる感じがして、助かりました。
それにしても、血管痛が出た事には驚くと共に参りました。
そして、この血管には、この後も、しばらく悩まされ続ける事になろうとは、思いもよりませんでした・・・。